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カリフォルニアワインを中心にして長いことお酒を楽しんできました。これからはヨーロッパのワインやお酒を楽しむことに軸足を移していこうと考えています。
長男と一緒に第二次世界大戦について考えてみました
長男と一緒に第二次世界大戦について考えてみました。
色々なYouTubeで視覚的に勉強できる世の中になりましたね。

1. 何故、戦争が起きたのか(何故、日本はアメリカを攻撃したのか)
2. ドイツとヨーロッパの動き
3. 日本とアジアの動き
4. 参考YouTubeリンク 

1.何故、戦争は起きたのか(何故、日本はアメリカを攻撃したのか)

日本は真珠湾(アメリカ)を攻撃した。

Q1.連合国側のイギリスでもフランスでもなく、何故、アメリカを攻撃したのか?
A.中国を欲しい日本は、同じく中国を欲しいアメリカに敵対心を抱いたから。
  アメリカは当時、自国の産物を売りつけ、資源を奪取出来る植民地を持っていなかった。
  そのため、中国は喉から手が出るほど欲しかった。
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Q2.日本は何故、アメリカに敵対心を抱いたのか?
A.日本は中国を独り占めにしたかったかが、アメリカがそれを妨害していたから。
  日中戦争は日本と中国の戦いだったが、アメリカが中国へ武器や物資を援助していた。
  中国を手に入れたいアメリカが、中国が日本に支配されることを恐れたため。
  中国の蔣介石を援助するルート(東南アジアから中国へ続く道)を援蔣ルートと言った。
  アメリカが中国を援助し続けたら、日中戦争は終わらない、また日本は中国に負けるかもしれない。
  日本軍が東南アジアへ進出したのは、援蔣ルートを断ち切ることも目的とした。
  東南アジアへ進出した日本にアメリカは怒り、日本への石油輸出を禁止した。
  日本は石油輸入の80%をアメリカに頼っていたため、これは大きな打撃だった。
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Q3.日本は何故、中国を独り占めにしたかったのか?
A.ロシアからの攻撃を防ぐために、中国を軍事拠点としたかったから。
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Q4.日本は、何故、ロシアからの攻撃を防ぎたかったのか?
A.強国ロシアの攻撃にあって戦いに負けると、ロシアの植民地にされてしまうから。
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Q5.何故、植民地にされるのを防ぎたかったのか?
A.植民地にされると、日本が奴隷化され、国の富を略奪されてしまう、と考えたから。

Q6.何故、奴隷化され、国の富を略奪されてしまう、と考えたのか。
A.それまで、イギリス、フランス、オランダ、スペイン、ポルトガルなどが世界でそうしてきたから。
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Q7.何故、ヨーロッパの国々は植民地の富を略奪してきたのか。
A.自分の国を豊かにするため。

Q8.何故、ヨーロッパの国々は自分の国を豊かにしたかったのか。
A.豊かになり、軍事力を強くしないと、他の国に戦争で負けて、植民地にされてしまうため。

2.ドイツとヨーロッパの動き

1939年8月
ドイツはヨーロッパ侵攻の下準備をする・・・独ソ不可侵条約
ソ連と手を結び、イギリスやフランスから挟み撃ちされることを防ぐ目的で

1939年9月
ドイツはヨーロッパ侵攻を開始する・・・ポーランドを侵攻
約1か月でポーランドの西側半分を獲得

ピンク色の部分にドイツを中心とする勢力が侵攻
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1939年9月
ドイツはイギリスとフランスから宣戦布告を受ける・・・第二次世界大戦の始まり
ドイツがポーランドへ攻め込んだら、イギリスとフランスはドイツを攻めると決めていた
ポーランドはイギリス、フランスと同盟国だった

1940年4月
ドイツはヨーロッパ侵攻を本格化させる
イギリスからの攻撃を防ぐため、北上してデンマーク、ノルウェーを侵攻
フランスもドイツに侵攻され、パリが占領される

ピンク色の部分にドイツを中心とする勢力が侵攻
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ヨーロッパ各地でナチスドイツに対する抵抗運動(レジスタンス)が起きる

1940年9月
ドイツは国際連盟脱退国と同盟を結ぶ・・・日独伊三国同盟
ドイツを中心とする枢軸国側がイギリスを除くヨーロッパの大半を支配する

ピンク色の部分にドイツを中心とする勢力が侵攻
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3.日本とアジアの動き

1940年時点での日本の領土(ピンク色の部分に日本軍が侵攻)
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1941年4月
日本は東南アジア侵略を準備・・・日ソ中立条約
南(東南アジア)へ侵攻したい日本が北からの攻撃を防ぐための対策
日本はアメリカに石油の輸入を頼っていたため、東南アジアの資源を獲得したかった

1941年8月
日本はフランス領インドシナ進駐を再開

ピンク色の部分に日本軍が侵攻
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その時のスローガンは大東亜共栄圏
大東亜共栄圏・・・欧米から東南アジアを守り、アジア諸国で共栄しようという名目

1941年8月
日本のインドシナ進駐にアメリカが怒り、欧米が日本への石油輸出を禁止・・・ABCD包囲網
A アメリカ
B ブリティッシュ(イギリス)
C チャイナ(中国)
D ダッチ(オランダ)

 この後、この経済制裁を解除する条件をアメリカから提示される
 条件1 日独伊三国同盟から抜けること
 条件2 中国の植民地を返還する(満州事変の前、1931年の状態に戻す)こと
      1894の日清戦争で獲得した朝鮮と台湾は返還しなくて良し
      1931年、1937年に獲得した中国、1940に獲得したインドシナ半島は返還
 日本はこれを拒否

1941年12月
日本は米英との開戦を決定
日本のトップ、陸軍出身の首相は東条英機

1941年12月
日本はアメリカと開戦へ・・・ハワイの真珠湾を攻撃
日本はイギリスと開戦・・・マレー半島に侵攻

ピンク色の部分に日本軍が侵攻
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日独伊三国同盟を結んでいたドイツがアメリカとイギリスへ宣戦布告
世界を巻き込む戦争へ発展(枢軸国vs連合国)
ヨーロッパはドイツを中心とする枢軸国側が優勢、イギリス一国で対抗していた
イギリスは大国のアメリカが味方に加われば、枢軸国側を倒せると見込んでいた
アメリカの石油保有量は日本の保有量の500倍、長い戦いになると勝負は決まってくる

4.参考YouTubeリンク

中学 社会(歴史/昭和時代07/太平洋戦争のはじまり/中3)(視聴時間15分)
https://www.youtube.com/watch?v=3t8JMsTM6fg

中学 社会(歴史/昭和時代08/太平洋戦争のはじまり/中3) (視聴時間15分)
https://www.youtube.com/watch?v=erR7dpDJMjc

なぜ日本は戦争を始めたのか?─学校が教えてくれない戦争の真実(視聴時間7分)
https://www.youtube.com/watch?v=RTACaKaWpjs

5分でわかる第二次世界大戦のヨーロッパ戦線(視聴時間5分)
https://www.youtube.com/watch?v=DzTo3iZEk3U

第二次世界大戦 World War II 漫画ver(視聴時間33分)
https://www.youtube.com/watch?v=XzQR6sWSePQ

堀江貴文著 『99%の人が気づいていないお金の正体』
堀江貴文著
『99%の人が気づいていないお金の正体』
(宝島社)
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以下備忘記録。

●7世紀終わりに富本銭、708年には和同開珎が作られたが「円」のように広く流通されなかった。理由は信用がない(持っていてもいつ価値がなくなるかわからない)から。15世紀初めには、中国の明で永楽通宝が作られ、日本へ輸入され、江戸時代初期まで広く流通した。明の国力が圧倒的で、そこで造られたお金に信用があったから。アメリカ以外の国々で米ドルが使われているのは、その国の通貨は価値が無くなるかもしれないから。お金イコール信用。カードのポイント、マイレージ、ビットコインも信用があればお金と同じ。

●広く流通する貨幣が日本で生まれたのは家光時代の1636年。寛永通宝。それでも信用度は米のほうが高く、税金(年貢)は米で徴収され、武士の給料は米で支払われた。経済力(一種のGDP)も米の生産高で示した。「1石」とは「1人の大人が1年間に消費する米の量」なので、加賀百万石は100万人を養えるほど豊かな経済力をもつ自治体だったことを意味する。

●1730年には、大阪・堂島に「米会所」が設立され、蔵屋敷が発行した「米切手(米札)」という証券が売買された。リアルな米がない状態でも信用に基づいて取引がなされることもあり、世界初の先物取引のはしりといえる。

●大岡越前守は江戸の行政・司法官としてだけでなく、幕府の経済顧問としても非常に先進的な手腕を発揮した。当時の武家社会は金本位制ではなく米本位制。武士の給料は米で支給されていたが、需給のバランスにより不作の年は米の値段が上がり、反対に豊作の年にはコメの値段が下がる。なので豊作の年には武士が生活に困窮し、金貸しのところに行きお金を借りた。しかし金貸しが借金の取り立てに行こうとしても、気の短い武士も多く、腰には刀を差しているので怖くて近づけない。そこで金貸しは別の武士に「お前の借金を帳消しにしてやるから、あいつの借金を取り立ててこい」と交渉して集金係を委託した。すると斬り合いになることも多発。御用になった武士が裁判所に連れて来られる。借金をめぐるトラブルが急増したことに危機感を持った大岡越前守は、米価を安定させることが急務だと考え、公設の米取引相場をつくった。これが大阪・堂島に作られた「米会所」、公設先物取引市場である。

●株式会社のルーツは、1602年にオランダが設立した東インド会社だ。政府主導のもと、ジャワ島を中心にインドや東南アジアで香辛料の貿易を営んだ。船が嵐で沈めば甚大な損害が出る。難破船は一定の確率で出てしまうので、そのリスクをヘッジするために船主たちはめいめい資金を出し合って、そのお金を「ストック(stock)」した。船が積み荷を届けて本国に帰ってくれば大きな利益が出る。お金が儲かった時は、手持ち金を出してくれた人々に配当金を支払う。これが株主配当のルーツである。
池上彰著 『池上彰の世界の見方 ドイツとEU』
池上彰著
『池上彰の世界の見方 ドイツとEU』
(小学館)
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以下備忘記録。

●ヨーロッパの起源
「ヨーロッパ」という言葉は、ギリシャ神話に出てくる姫「エウロペ(Europe)」に由来している。エウロペは大変美しく、全知全能の神ゼウスがエウロペにひと目ぼれ。エウロペを誘惑しようと、白い牡牛に姿を変え、海岸で花を摘んでいたエウロペの前に姿を現す。エウロペが白い牡牛にまたがると、牡牛は彼女を背中に乗せて各地をめぐり、海を渡ってクレタ島に連れ去り、エウロペと結婚したとされている。ゼウスがエウロペを乗せて走り回った地域が「エウロペ」と呼ばれるようになった。ヨーロッパの起源はギリシャにあり、ギリシャ哲学と民主主義、ローマ帝国による法制度と国教のキリスト教によって基礎が形成された。

●キリスト教をめぐる争い
キリスト教は最初、迫害されていたが、ローマ帝国が国教としたことで、大きな勢力を持つようになった。中世になると、キリスト教の教会の力はさらに強くなるが、教会の権威に反発する考え方、ルネサンスが出てくる。神が中心の社会から人間が中心の社会へ。もっと人間的な暮らしをしようというヒューマニズムの思想が生まれる。芸術や科学の分野では、レオナルド・ダ・ヴィンチやガリレオ・ガリレイなどが登場。ルネサンスによって、神に対する考え方に変化が起こり、その結果、宗教革命が起こる。キリスト教はカトリックとプロテスタントに分裂し、互いに激しく争うようになった。

●石炭エネルギーをめぐる争い
洗車、砲弾などの武器を作るのには大量の鉄が必要。鉄は鉄鉱石に含まれる成分を取り出して鉄鋼へと加工する。そのためには原料の鉄鉱石などを高温で溶かす高炉が必要。高温を作り出すために石炭が使われる。2回の世界大戦が起こった頃、石炭は武器の原料となる鉄を作るための最も重要なエネルギー資源だった。そのため、各国は石炭が埋蔵されている場所をめぐり争いを繰り返した。
ドイツとフランス国境あたりにアルザス=ロレーヌ地方という地域がある。農作物も豊富に撮れる、非常に豊かな地域で、しかも石炭が大量に埋蔵されているため、石炭を燃料にした鉄鋼業が盛んになった。この地域を獲得した国は、おのずと国力が大幅に強くなる。そのため歴史的にドイツとフランスがこの地域の奪い合いを繰り返していた。
第二次世界大戦後、ドイツは東西に分裂。ドイツの敗戦によってアルザス=ロレーヌ地方はフランスの領土になったが、西ドイツがここを奪い返しに来るかもしれない、とフランスは警戒。そこで、西ドイツとフランスだけでなく、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクも加わった6か国の間で、採掘される石炭と鉄鋼産業を共同管理しようという条約が結ばれる(パリ条約)。これに基づいて欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が設立された。そこには、西ドイツが石炭や鉄鋼業によって復活したあと、それを軍事産業に転用しないよう周辺の国々で監視する意味も含まれていた。ここに現在のEUにつながる、ヨーロッパ最初の共同体が作られた。EUの基本となった6か国という意味を込めて、現在もBasic Sixと呼ばれている。

●ユダヤ人迫害とイスラエル建国
ナチスによるユダヤ人狩りの実態を世界に知らしめた一冊の本、『アンネの日記』。これが出版されると世界的なベストセラーになり、ユダヤ人に対する同情が世界的に広がった。ユダヤ人たちは、我々は自分たちの国を持っていないから迫害されるのだ、と思うようになり、自分たちの国を作りたいという機運が高まり「シオニズム運動」が再燃。何故、再燃なのか。ドイツ・ナチスによる迫害のはるか昔から、ユダヤ人は迫害され続けてきた歴史があるから。シオニズムとは「シオンの丘に戻ろう」という意味。シオンの丘は、現在のエルサレムのあたりになる。昔ユダヤ人が住んでいた場所を奪われた、それを取り戻そう、という運動で、1890年頃から「シオニズム運動」と呼ばれるようになった。大量虐殺によって再燃したシオニズム運動は、その後1948年のイスラエル建国へとつながってゆく。しかしイスラエルの建国は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教、さらにはユダヤ人とパレスチナ人の民族抗争に発展し、今なお解決の糸口を見つけることが出来ない。

●ヒトラーは何故ユダヤ人を標的にしたのか
キリスト教の新約聖書に由来する。イエスが暮らしていたのは、当時のパレスチナ地方。現在のシリア南部からイスラエルのあたり。当時、ローマ帝国の支配下にあった。イエスはユダヤ教徒として育つが、ユダヤ教の改革運動を行ったため、ユダヤ教の幹部からにらまれるようになり、イエスは謀反を企てているという罪を着せられる。そしてローマ帝国から赴任していた総督に引き渡され、処刑された。何故十字架にかけられたのか。当時ローマ帝国の死刑執行が、十字架に張り付けにして、槍で突き殺すという方法だったから。当時この地方の総督はイエスのことを尊敬していた。そこで集まった群衆(ユダヤ人)に本当にイエスを処刑してもいいのか、と聞いたところ、そのユダヤ人たちは皆、イエスを十字架にかけると言う。そしてイエスを殺した地の報いが、わが子孫たちに及んでもかまわないと言った、と聖書(が構成されている福音書)には書かれている。
イエスはユダヤ教徒として生まれ、ユダヤ教徒として死んでいった。イエスの生前、キリスト教はまだ成立していなかった。ユダヤ教の中には救世主信仰(やがてこの世の終わりが来るときに、必ず救世主が現れて、人々を導いてくれるという考え方)がある。イエスは死後、復活したと伝えられている。ユダヤ教徒の中に、イエスこそが救世主(キリスト)ではなかったのかと考える人たちが出てきて、その人たちがキリスト教徒と呼ばれるようになった。
新約聖書の中に、ユダヤ人たちがイエスを処刑したとあり、これがキリスト教徒がユダヤ教徒を嫌う原因となっている。
さらにイエスの死後、地中海沿岸でローマ帝国とその支配下にあった属州に住んでいたユダヤ人との間で戦争が起こり、ユダヤ人がヨーロッパ各地に逃げて行った。ローマ帝国はキリスト教を国教として定める。ローマ帝国がキリスト教になるということは、支配下にあるヨーロッパ全土がキリスト教社会になるということを意味した。ユダヤ人たちは、そのキリスト教社会の中でも、自らの信仰を守り続け、金曜日の日没から土曜日の日没(ユダヤ教の安息日)まで仕事を休み、シナゴークと呼ばれる集会所に集まって、聖書(旧約聖書)を読みながら神様のことを考える。その様子を見たキリスト教徒は、ユダヤ人たちは毎週、密に集まって陰謀を企てているのではないか、と疑うようになった。こうしてユダヤ人はキリスト教社会において、さらに差別されるようになり、中世になると土地を所有することが禁止された。土地が所有できないということは、子供たちにその土地を相続することもできない。土地が持てないならお金を貯めるしかなく、さらにユダヤ人は親が子供に残すことが出来る、一番の財産は教育だと考えた。ユダヤ人は一生懸命に働き、金融業で成功して大金持ちになる人も出てくると、まわりのキリスト教徒の中には、差別してきたユダヤ人が急に金持ちになったと腹立たしく感じる人も出てきて、キリスト教徒の中に根強くあるユダヤ教徒への偏見がますます強くなっていった。当時のキリスト教徒がユダヤ人に対して持っていた意識を如実に表した作品がシェークスピアの『ベニスの商人』。そこにはシャイロックという、血も涙もない守銭奴の商人が出てくるが、このシャイロックこそが当時のキリスト教徒から見た典型的なユダヤ人像である。
この偏見を政治利用したのがヒトラー。第一次世界大戦と世界恐慌を受けて多くの失業者がいたドイツで、ヒトラーは我々の経済が上手く動かないのはユダヤ人のせいだ、と扇動していった。国民の不満をぶつける敵を国内に作り出すという印象操作でユダヤ人がその標的となったのである。

●西ドイツと東ドイツの戦争教育における違いとその影響
敗戦後、世界中がドイツに厳しい目を向けた中、ドイツは政府による謝罪だけでなく、具体的な行動で新しいドイツの姿を世界に見せてきた。ナチスによって迫害された人々に多額の補償金を支払い(ユダヤ人社会には10兆円以上)、今後もその支払いは続く。戦時中、ナチスに協力した企業も同じように補償を行っている。また、戦争犯罪者や強制収容所における殺人行為に手を貸したものに対しては。現在も追及が続けられている(時効がない)。他にも歴史教育において、戦争でドイツが犯した罪を徹底的に教え込む。過去にナチスが関わった情報の公開など、自らの過ちを反省し、訣別鶴努力を続けている。ドイツは国民を挙げて戦争責任について考えるという誠実な態度を貫き、周辺の国々も次第にドイツを認めるようになった。
以上は西ドイツの話。ソ連に占領された東ドイツでは、「戦争は一部の独占資本家が起こしたのだ。君たちプロレタリアート(労働者)は、被害者なのだ」という階級闘争論に基づいて、悪かったのはヒトラーとその取り巻き、そして一部の独占資本家だという国民教育を行った。
東西ドイツの教育の違いが、今ひずみとなって表れている。2015年頃からヨーロッパにはシリアや北アフリカの難民が大量にやって来ており、ドイツでは、戦争責任や少数民族虐待の反省から、メリケル首相が難民を無条件で受け入れると発表した。これによって80万~100万ともいわれる難民がドイツで暮らしている。この状況に対して、ドイツの中で難民や移民を追い出すべきだという運動が起こった。代表的なのが「ドイツのための選択肢」という政党で、2013年にベルリンで設立されたこの政党は、活動の基盤が旧東ドイツ地域。旧東ドイツ地域ではそれなりの勢力を持っていたが、旧西ドイツでは勢力を伸ばすことが出来なかった。旧西ドイツの人たちは、戦乱を逃れてきた人たちや少数民族を助けるべきだという義務感のようなものを持っていて、難民や移民を心地よく受け入れる。一方、旧東ドイツの人たちはそういう教育を受けてこなかった。
こうした東西ドイツの国民の考え方の違いを見ていると、教育が人々の心や行動にいかに大きな影響を与えるか、ということがよくわかる。

●カトリックとプロテスタント
マックス・ウェーバーの論によると、カトリックの国は経済があまり発展していない。ヨーロッパでも経済が発展し、国民が豊かになっている国にはプロテスタントのところが多い。プロテスタントでも、とりわけカルバン派の国の経済が発展している。なぜカルバン派の信者たちの国では、資本主義が発展するのだろう。そういう分析を行った。
キリスト教の考え方は、基本的にどの宗派も同じ。唯一絶対の神様がこの世界をおつくりになった。ということは、やがてこの世界に終わりが来る。世界の終わりが来た時に、一人ひとり神様の前に引き出され、最後の審判を受ける。善い行いを多くしたものは天国へ、悪い行いの方が多かったものは地獄に落ちる。
カトリックの信者は、キリスト教を信じ、布教する活動に協力することが善行だと考える。協会の活動を支えるために財産はなるべく寄付しよう。そうすることで自分は天国に行けると信じている。ヨーロッパに行くと、豪華な教会と質素な教会にはっきりと分かれているが、質素なのはプロテスタントの教会。豪華な教会は基本的にカトリック。カトリックの信者の多くは、商売で稼いだらそれを協会に寄付する。それに対して、プロテスタントのカルバン派は、神様は絶対的な力を持っているから、死後、天国に行けるかどうかは、あらかじめ決まっている、と考える。そして、神様が天国へ行くと決めた人は、当然、神様の意思に従って善い行いをしているし、仕事に対しても、一生懸命努力し成功することが、神様から選ばれているということの証になるのではないか、と考える。その証を得たくて一生懸命働く。でも働いてお金持ちになっても、贅沢三昧の暮らしをしたら、堕落した人生(神様から見放されている証拠)になる。だからお金は稼ぐが、贅沢をせずに、再投資をしてさらに事業を拡大していく。
ドイツの発展したのには、プロテスタントのカルバン派の思想がその根底にあったのではないか、というのがアックス・ウェーバーの主張である。
いろいろな議論があるが、確かにヨーロッパではプロテスタントの信者が多い国の経済は発展している。
10回目の訪問
1年半ぶりに司馬遼太郎記念館を訪問しました。
今回は記念すべき10回目の訪問です。
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今回の企画は『司馬遼太郎が見た世界展』。
『台湾紀行』や『ロシアについて』などの司馬作品を片手に旅した当時を懐かしく感じながら、一方でオランダやポルトガルも訪れたいなあ、と欧州生活のモチベーションを高めた次第。

さかのぼって調べたら、記念館へは2008年に3回目の訪問をした記録がありました。
初回訪問はブログを始めた2007年以前のようで、12年以上は通い続けていることになります。
帰任したら『司馬遼太郎友の会』に入会しようかな。
夏休みの宿題
先月の話。

中1の社会、夏休みの宿題は「興味があるテーマでレポートをA2用紙にまとめる」というものでした。
長男のレポートなんだが父親のレポートなんだか(笑)。

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おまけ
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