数年前、カナダのユーコン川を旅していて、たまたま作家の野田知佑さんに出会いました。学生時代から憧れていた方です。追いつ追われつ下りキャンプで一緒に酒を飲みました。人生、色々な幸せの感じ方がありますね。
コロラド&ユタの旅
 8月9日〜18日まで、コロラド州とユタ州の自然散策を目的として、次の三つのテーマに基づいて旅を楽しんできました。

<第一ステージ> テーマ:ロッキー山脈
* ロッキーマウンテン国立公園
* エバンス山(標高4348m)
<第二ステージ> テーマ:荒野と大地
* コロラド・ナショナル・モニュメント
* アーチーズ国立公園
* キャニオンランズ国立公園
* モニュメントバレー
<第三ステージ> テーマ:遺跡と高山鉄道
* メサヴェルデ国立公園
* グレートサンズ国立公園
* パイクスピーク登山鉄道

 全走行距離は約3,000km。
 実際に旅したコースタイムは下記の通りです。

<第一ステージ> テーマ:ロッキー山脈
8月9日(土)
ナッシュビルからデンバーへ移動
10:55デンバー空港出発
14:00エステスパーク(コロラド)着

8月10日(日)
 7:35出発
     ロッキーマウンテン国立公園散策
13:15下山
     雨天となりトレッキングを断念
15:20デンバー(コロラド)着

8月11日(月)
 7:30出発
11:45エバンス山Mt.Evans(標高4348m)登頂
12:30下山
17:40グランドジャンクション(コロラド)着

<第二ステージ> テーマ:荒野と大地
8月12日(火)
 6:55出発
     コロラド・ナショナル・モニュメント散策
 9:45グランドジャンクション出発
11:35モアブ着
12:30アーチーズ国立公園散策
20:25モアブ着 (ユタ)

8月13日(水)
 7:25出発
 8:15デッドホース・ポイント着
 8:40同出発
     キャニオンランズ国立公園散策
11:45同出発
14:30ブランディング着(ユタ)

8月14日(木)
 7:45出発
 9:25モニュメントバレー散策
12:55グースネック州立公園散策
14:05ミューレイポイント散策
15:55フォーコーナーズ見学
16:55コルテス(コロラド)着

<第三ステージ> テーマ:遺跡と高山鉄道
8月15日(金)
 7:55出発
 8:30メサヴェルデ国立公園散策
16:05アラモサ(コロラド)着

8月16日(土)
 8:00出発
 8:30グレートサンズ国立公園
11:20ローヤル峡谷着
15:25コロラドスプリングス(コロラド)着

8月17日(日)
 8:10出発
10:40登山鉄道乗車、パイクスピークへ
13:50下車
15:40アウトレットモールでショッピング
18:35デンバー着

8月18日(月)
デンバーからナッシュビルへ移動

 次回の記事からは写真を中心に旅の様子を報告していきたいと思います。
ピジョン・フォージで友達と遊ぶ
 グレート・スモーキー・マウンテンから下山後、何家族かの友達とピジョン・フォージのホテルにて集合。そして、翌日にかけて遊園地やウォーター・パークなど子供達が遊べる場所を中心に楽しいひとときを過ごしました。

 皆で楽しく過ごせた一つの要素は、宿泊したリゾートホテルです。

Water Resort at Pigeon Forge
124 Plaza Dr, Pigeon Forge, TN 37863
(865) 286-6950

 宿泊場所に関しては、普段どちらかと言うと「寝るだけだから屋根があって雨風をしのげればいいよね」というくらいにしか考えないことが多いのですが、今回は「本当にこのホテルでよかったなあ」としみじみと感じました。

 4階廊下からの眺め。
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 数ヵ月後に、ホテルの敷地内に巨大室内プールが建設され、一大リゾートになる予定とのこと。今回宿泊した部屋は一泊150ドル(日本とは異なり家族三人でこの料金です)でしたが、同プール建設後は300〜350ドルになるようです。

 清潔感のあるベットルーム。
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 リビングルーム。タイルのフローリングで清涼感がありますね。
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 カウンターキッチン。
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  キッチンには冷蔵庫、電子レンジ、オーブンや食洗器も備え付けられていました。また、洗濯機やウォークイン・クローゼットも備え付けられていて、今すぐここで生活をはじめられる状態になっています。

 ゆったりとしたバスルーム。浴槽はジャグジー付きです。
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 ここは何のスペースだろう、と扉を開けたら簡易二段ベットが出てきて驚きました。この構造は見たことがありません。よく考えたものですね。
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 気の利いたコーディネートが嬉しいですね。優しい色調で気持ちを和ませてくれます。
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  アメリカ人は、別荘の感覚で一週間ほどゆったりとバケーションを過ごすのでしょうね。

 夕方、オリーブガーデン(イタリアン・レストラン)へ行くと、「一時間待ち」と言われ、さすがに子供達が我慢できないね、と外食を断念。KFCでチキンを、食料品スーパーでピザとサラダを買って、お洒落な部屋で夕食を楽しむことにしました。
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 結果的には、これが奏効します。
 子供達はそこらじゅうを走り回り、大騒ぎしていましたが、子供同士で遊んでくれるので大人はゆっくりとお酒を飲みながら会話を楽しむことが出来ました。レストランではこうはいきません。運転しないで自分の部屋に帰るだけ、というのがまたいいですね。

 とても楽しい二日間を過ごすことが出来ました。
チャールストン(サウスカロライナ州)への旅 1
 独立記念日の連休を利用して、大西洋岸の歴史的港町であるチャールストン(サウスカロライナ州)へ遊びに行きました。

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 チャールストンは古都の一つとしてアメリカ人の間ではとても人気がある観光都市です。
 街の名前はイギリス王チャールス2世の名に因んでいます。アメリカはイギリスの植民地だったのでイギリス系の名前を持つ都市が多いのですね。チャールズタウン(CharlestownあるいはCharles Towne)として1670年に建設され、10年後に現在の場所に移されました。今でもイギリス文化を継承する美しい街並みが保存されていて、そこをゆっくりと歩いているだけで古都の雰囲気を味わうことが出来ます。
 またチャールストンは聖なる市(The Holy City)としても知られています。これは、低層の都市景観を形作る有名な教会(こちらもアメリカ建国以前、ヨーロッパからの入植当時のもの)がいくつもあって、その多くの尖塔が街のスカイラインとなっていることに起因しています。
 歴史的には「南北戦争の発端となった街」として有名。1860年に、サウスカロライナ州議会では、アメリカ合衆国からの脱退を支持する投票結果が出ました。脱退支持という結果が出た最初の州が同州でした。そうなった原因の一つは奴隷制度に反対する大統領候補の当選がきっかけ(サウスカロライナ州は奴隷制度に賛成)である、と言われています。そして翌1861年に、チャールストン要塞の士官が、湾へ出入りする合衆国の船に向けて第一撃を放ち南北戦争の火蓋が切られました。沖合いに浮ぶ「サムター要塞」は、南北戦争の勃発した場所として、アメリカ史において重要な意味を持っているのです。

 3日の夜12時に出発して、約950kmを家内と交互に運転、そして9時間をかけて何とか到着。さすがにこの移動は疲れました。

 では写真を見ながら旅を振り返ります。
 街並み。
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 ワシントン大統領が滞在した「ヘイワード・ワシントン・ハウス」
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「1772年、大プランテーション主ダニエル・ヘイワードにより立てられたこの家は、息子であり、独立宣言署名者のひとりでもあるトーマスに受け継がれた。そして1791年にジョージ・ワシントンがチャールストンを訪問した際、滞在したという由緒ある屋敷でもある。内装や家具は18世紀の著名な職人の手によるもの」(『地球の歩き方〜アメリカの魅力的な町〜』より)
 7月4日、5日とも見学ツアーが休みだったのが残念。

 税関?
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 海が広がっています。
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 写っている吊り橋(2005年に完成)はアメリカ最大を誇ります。
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 ウォーター・フロント・パーク内にある噴水。多くの子供たちが遊ぶ憩いの場所です。二歳の息子を一人で遊ばせるのは危ないので、私も海パンに着替えて水の中へ。大人も十分楽しめます。
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「歓迎」を表すパイナップルの噴水。同じくウォーター・フロント・パーク内にあります。
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 海辺にある水族館へ。
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 ワシントン広場。塔の上にあるのはジョージ・ワシントンの銅像でしょうか。
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 気温は30度をはるかに超えています。1リットル近く入っているのではないかと思われるジャンボレモネード(3.50ドル)で体を冷却。
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 聖なる市(The Holy City)の象徴である尖塔に特色がある数々の教会。ダウンタウンだけでも180以上の教会があるそうです。
 ワシントン広場より尖塔を望みます。
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 セント・ミッチェル監督派教St. Michael’s Protestant Episcopal Church。
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「修復は重ねられたものの、完成当時からまったく同じ姿で現存するアメリカで数少ない教会のひとつ。1761年に建てられ、チャールストンの教会の中で最も古い。1791年には、ジョージ・ワシントンもここで礼拝を行っている。」(『地球の歩き方〜アメリカの魅力的な町〜』より)

 セント・フィリップス監督派教会 St. Phillip’s Protestant Episcopal Church。
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「教会の町、チャールストンを代表するチャーチ。1670年創建後、2回建て直されていて、現在は3代目。(中略)この教会は20世紀当初、灯台としても活躍し大西洋やクーパー川を航行する船舶の道標にもなっていた。」(『地球の歩き方〜アメリカの魅力的な町〜』より)
 同じ教会でも夕方になると趣が出ますね。
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 フレンチ・ユグノー(プロテスタント)教会French Huguenot (Protestant) Church。
 1845年にゴシック様式で再建。フランス・プロテスタント派の教えに従って建築されたアメリカで唯一の教会、とのこと。
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 Circular Church。1681年創建。
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 南北戦争の最初の戦いは「サムター要塞」への攻撃です。下記、要塞の解説写真の奥に、要塞のある島が浮んでいます。肉眼では見れるのですが写真だとわからないですね。
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「サムター要塞」は国定記念物に指定されているとのこと。
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 ツアーに参加しなければ要塞には行けません。2時間半のツアーは息子には厳しいなあ、と思い今回は断念しました。
 南北戦争については落ち着いてじっくりと勉強してみたいですね。

 American Classic Tea。
 チャールストンのダウンタウンから西へ30分ほど走ると、紅茶のプランテーションを見学出来る場所があります。
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 アメリカで唯一の紅茶栽培所とのこと。紅茶畑の見学(大人一人10ドル)と製造工場の見学(無料)が出来ます。
 トレーラーのようなバスに乗り込み、ぐるーりと畑をまわりました。
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 独立記念日ということもあり、工場が稼動しているところは見れませんでしたが、中学校の体育館ほどの大きさの部屋に、工程順にラインが組まれていて楽しく見学することが出来ました。
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 こんな感じで7月4日、5日と二日間、チャールストンで楽しんで、ナッシュビルに戻りました。

 おまけ。
 American Classic Teaからチャールストンのダウンタウンへ戻る途中で立ち寄ったアンティークショップで素敵なティーカップを見つけました。
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 旅先で相性のいいティーカップに出会うたびに1セットずつ買い集めています。これも旅をする一つの楽しみですね。

 次回はこの旅で口にした料理について記事にする予定です。
ナチェス・トレール
 週末にナチェス・トレールを旅してきました。
 アパートを出て、フランクリンのダウンタウンから96号線をI-40方面へ走ると、著名建築家によって設計されたという大きな橋が見えてきます。この橋の上を通るのがナチェス・トレールです。
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 トレールへの入口。
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 橋の上からの景色。96号線からの高さは約100mとのこと。綺麗な森の風景が広がります。
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 ライダーとよくすれ違いました。こんにちは、と手で挨拶を交わします。
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 テネシーらしい風景。森、森、森、、、
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 ナチェス・トレールを80〜90km走ったところに、気持ちのいいトレッキングコースを見つけました。412号線とのジャンクションから数km手前(ナッシュビル寄り)です。
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 森の中にはよく整備された遊歩道があり、少々の浮石や段差に注意すればほとんど危険なところはありません。鳥のさえずりを聞きながら、水が岩を打つ音の方へ歩を進めると高さ7〜8mほどの糸滝に出会いました。
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 糸滝の裏側へ入ってみると、ひんやりとした空気が気持ちよく、マイナスイオンをたっぷりと浴びて何だかとても体にいいような気がしました。来月二歳になる息子は、「もういっかい」と何回も頭を滝水に打たれながら大喜びでした。
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 ナッシュビルに戻ったのが夕方4時過ぎ。気温33度。息子とアパートのプールで1時間半、たっぷり遊んでから帰りました。
 スーパーで買い物をして、夕食は久しぶりに夫として腕を振るいます。料理は別途ブログで紹介しましょう。

初めて広島を訪れる
 日本滞在中に広島へ立ち寄る機会があり、平和記念公園と広島城を訪れました。

 広島平和記念資料館の渡り廊下より公園を望みます。写真中央、奥に原爆ドームが見えます。
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「1945年8月6日午前8時15分、広島は世界で初めて原子爆弾による被害を受けました。街はほとんどが破壊され、多くの人々の生命が奪われました。かろうじて生き残った人も、心と体に大きな痛手を受け、多くの被爆者がいまなお苦しんでいます。
 平和記念資料館は、被爆者の遺品や惨状を示す写真や資料を収集・展示するとともに、広島の被爆前後の歩みや核時代の状況などについて紹介しています。
 資料の一つ一つには、人々の悲しみや怒りが込められています。原爆の惨禍からよみがえったヒロシマの願いは、核兵器のない平和な社会を実現することです。(同資料館パンフレットより)」

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 広島城。
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 1589年、中国地方の大半を領有していた毛利輝元(毛利元就の孫)は、太田川河口デルタにおいて新しい城と城下町の建設に着手します。そして、この地を「広島」と命名して、2年後の1591年に完成した広島城に入りました。
 徳川時代になると、毛利氏は防長二カ国に削封され、広島城には福島正則を経て浅野氏が入城、浅野氏は明治維新までの250年間、12代にわたって「鯉城」とも呼ばれたこの美しい城の城主を務めました。

 今回はほとんど時間がなく、駆け足の旅となってしまいましたが、いつかこの街をもう一度ゆっくり訪れてみたいと思います。

 街を散策した後、お好み焼きを食べて大阪へ移動しました。
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