2年半楽しんだ広島から関西へ。こちらでも同じくらい過ごした頃、どちらのお好み焼きが美味しいか結論を出したいと思います。
ダイエット総括
 2008年よりダイエットを始めました。

 2008年 1月 1日 77.5kg
 2009年 1月 1日 65.0kg
 2009年12月31日 69.0kg

 2010年は安定して65kg前後をキープしていければ、と考えています。

 いよいよ今年も終わります。
 よい年をお迎えください。
サンタさん
 今年も子供が大好きなクリスマスがやってきました。2週間ほど前から、
「サンタさんに何お願いする?」
と気分を盛り上げてきました。
 クリスマスイブ。
 去年と同じように3歳5ヶ月の息子にサンタクロースとプレゼントを入れる靴下について説明します。アメリカでは、サンタさんが間違いなく来てくれるように、靴下のそばにトナカイの餌(色々な色彩の砂糖やお菓子)を置いておきます。去年は靴下の上に餌を置きましたが、今年は
「窓の外から見えるようにしたほうがいいんじゃない?」
と窓際にセット。

「サンタさん、マックインのトラックのマック(映画『Cars』のキャラクター)ください」
 21時就寝。
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 8時に目を覚まします。
「サンタさん来たかな?」
と息子に尋ねると、急いで靴下の方を見て、
「来なかったね」
とちょっとしょんぼり。
「そうかな、靴下の周りよく見てみたら?」
(今度は急いで靴下の下を確認して)
「わぁマックだ!サンタさん来たよ~!」
「良かったね。いい子にしてたからサンタさん持ってきてくれたんだね」
「うん!」

 トナカイが食べて半分無くなりました。
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 今日は一日、マックで遊んでいました。テレビを観ている時もそばから離しません。こんなに喜んでもらえると親の方が幸せになりますね。
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 夕食後、家内が作ったクリスマスケーキ(イチゴのババロア)とアップルスパークリングジュースでメリークリスマス。ツリーも家内作。
「ハッピーバースデーみたいに、フーって消すの?」
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 来年は何がほしいって言うのかな。
アトランタの旅5(アトランタの日本食レストラン)
 アトランタの旅、2泊3日の工程中に楽しんだレストランを振り返ります。

庄や(居酒屋)
6035 Peachtree Rd., Suite A101, Doraville, GA 30360-3231
I-285,、Exit31AorB,、Peachtree Industrial Blvdを南西へ0.2マイル、Peachtree Rdを左折、南へ0.2マイル、左手(Hマートと同じモール内)
Phone770-457-5555

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 レンコンチップ。
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 牡蠣の磯焼き。
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「お腹いっぱいだけど、どうしてもウニが食べたい」
と家内が最後にオーダーした一品。
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 お店の雰囲気、メニュー、店員さんの対応、全てがあたかも日本にいるかのような感覚にさせてくれる居酒屋でした。次回アトランタを訪問する際も、おそらく遊びに来るでしょう。

焼鳥甚平(焼き鳥居酒屋)
2421 Cobb Pkwy SE, Smyrna, GA 30080
I-285、 Exit20よりCobb Pkwyを北へ0.5マイル、右手(東側)
Phone 770-818-9215

 メインテーマの焼き鳥。日本の味を楽しみます。
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 皮。たまりません。皮丼なんてあったら心底食べてみたい。コレステロールの塊でしょうね。
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 居酒屋メニューも色々ありました。
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SUNO(かき氷店)
2570 Pleasant Hill Rd. #101 Duluth, GA 30096
I-85、Exit103 or 105より北へ1マイル、右手(東側、Hマートと同じモール内)

 SUNOは、甘い牛乳を雪綿のようにソフトなかき氷状にしたデザート(日本の名前は忘れました)を売りにしている店です。このデザートは台湾から日本へ入ってきて一時期ブームになったそうですね。とても美味しかったです。次は夏に食べたい。
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ジョリ神戸(パン屋&洋食レストラン)
5600 Rosewell RD NE, Atlanta, GA 30342
I-285、Exit25よりRoswell Rdを南へ0.5マイル、右手(西側)
Phone 404-843-3257

 日本の洋食を楽しめる、と聞いてやってきたのが『ジョリ神戸』です。
 オムライス。確かに日本のオムライス。美味しかったです。
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 ランチボックス。メインは写真右下のハヤシライス。ご飯が上、というのがオシャレですね。左上はロブスターのスープ。右上は白身魚のソティ。どの品もとても美味しかった。コーラを飲みながら頂きました。
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 そして食後はコーヒーとケーキを楽しみます。
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 上品な味わいで、まさに「日本のケーキ」という感じでした。アメリカ人には物足りないかな。

うまい堂(ラーメン店)
2790 Lawrenceville Suwanee Road Suite 140, Suwanee, GA 30024
I-85、 Exit111より南へ0.5マイル、右手(西側)

 数ヶ月前にオープンしたトンコツラーメン店。トンコツの中でも同店は博多トンコツなので、久留米、熊本、鹿児島等のラーメンよりも比較的にあっさり目に仕上がっています。

 トンコツラーメン。
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 ミソトンコツラーメン。
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 麺は博多トンコツ独特の硬めストレート麺。スープは豚の骨の髄エキスまで抽出されたしっかりとした味なのに全く臭み、嫌味が無いトンコツスープ。両者の出会いは感動を生みますね。替え玉あり。テネシーで生活している身からすれば信じられないことなのですが、アメリカに居ながら、日本のラーメン店と全く同じようにラーメンを楽しみました。

 餃子と明太子丼。チャーシュー丼と明太子丼で千度迷って、明太子丼にしましたが、あまりの美味しさに家内とびっくり仰天しました。ご飯は酢を優しくきかせて、その上にこれまた優しい味付けの明太子(若干バター風味がしたような・・・)とお漬物が載せられています。ビビンバのように軽くかき混ぜて頂くと口の中にほどよい辛味、酸味、甘みとコクが広がって、何ともいえない幸せを感じてしまいました。
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 元中日ドラゴンズ、アトランタブレーブスの川上投手も来店したようです。
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 日本へ一時帰国する感覚でアトランタへやってきましたが、その目的は十分達成する事が出来ました。
 自分の中で最も満足度が高かったレストランは『うまい堂』ですかね。
アトランタの旅4(マーチン・ルーサー・キングJr.国立歴史地区)
 マーチン・ルーサー・キングJr.国立歴史地区を訪れました。
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(マーチン・ルーサー・キングJr.の写真の前で)
子:誰なの?
父:この人はね、喧嘩しちゃだめだよ、仲良くしようね、ってみんなに教えてくれた偉い人なんだよ。
子:喧嘩しちゃだめだよ、って言ったの?
父:そうだよ。
子:偉いね。

『アトランタの名を世界に知らしめたのは、アトランタ生まれの作家マーガレット・ミッチェルが書いた『風と共に去りぬ』と、やはりアトランタで生まれたキング牧師である。『風と共に去りぬ』の中で綿花を摘んでいた奴隷たちは敗戦とともに解放されたが、なお1世紀にわたっていわれなき差別に苦しんだ。その状況を世界に訴え、公民権法の制定によって飛躍的に改善させたのはキング牧師の力といっても過言ではない。アトランタは“アメリカの良心”が試される舞台となったのだ。アトランタを訪れるとき、公民権運動とキング牧師を忘れることは出来ない。(ダイヤモンド社『地球の歩き方』より引用)』

『公民権運動最大の指導者マーチン・ルーサー・キングJr.は、アトランタで生まれ育った。彼が育った一角はダウンタウンの東のはずれ、スイート・オーバーンと呼ばれ、彼の業績を称えて国の史跡に指定されている。生家、牧師として歩み始めた教会、彼の墓石意外にも古い家屋などが保存されている。ここは自由と平等を愛する人々によって心のよりどころであり、観光シーズンには大型の観光バスが何台も横付けになるほどアトランタでははずせないスポットのひとつ。地区の全長は2kmほどで、歩いて回ることができる。(ダイヤモンド社『地球の歩き方』より引用)』

『マーチン・ルーサー・キングJr.牧師は黒人中心街オーバン地区に生まれ育った。牧師である父の下、勉学に勤しみ、飛び級で黒人大学に入り、最優秀の成績で卒業。奨学金で神学を学び、大学院に在籍中、アラバマ州出身のスコットと出会い、結婚。1954年には、自らアラバマ州モントゴメリーの協会に赴任した。
 1955年、黒人がモントゴメリー市のバスにおける人種分離制度の撤廃を目指すボイコット運動を展開すると、キング牧師は生活2年目にしてその運動の指揮をとり、この事件をきっかけに全国知名度をもつ公民権運動の指導者となっていた。
 12年間に多くの著作、演説を残したなかでも1963年8月28日、17万人の黒人と3万人の白人参加者を集め、首都ワシントンで行った「私には夢がある」から始まる演説は最も有名。
 1964年末ノーベル平和賞を受賞。しかし1968年志半ばでテネシー州メンフィスにて凶弾に倒れた。(JTB『ワールドガイド』より引用)』

 息子が大きくなったらこの日のことを話してあげようと思います。
アトランタの旅3(サイクロラマ)
 動物園に隣接するサイクロラマ(南北戦争をテーマとしたアトラクション)を訪れましたが、予定外の休館で中へ入れませんでした。
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 今回のアトランタの旅で最も楽しみにしていたので残念でしたが、またアトランタへ遊びに来る動機が出来ました。

『ダウンタウンの南東、グラント公園の中にあるちょっと変わったアトラクション。360度のパノラマ画に南北戦争におけるアトランタの激戦の様子が描かれていて、中央にある観客席が回転し、約30分間で一周しながら戦いの様子をたどれるようになっている。照明と音響効果で臨場感たっぷり。古めかしさの中に新鮮な驚きを感じるアトラクションだ。
 サイクロラマは18~19世紀にヨーロッパなどで大流行したもので、後に映画の背景に描かれたマット画でも似た手法が使われた。アトランタに残っているこの絵も、南北戦争が終わってから20年後の1884~1886年にヨーロッパから呼び寄せた11人の画家に描かせたもの。当初は博覧会等で各地を巡回していたが、1892年にアトランタへ移された。高さ13m、長さ(全周)109m、世界最大ともいわれる巨大なキャンパスに油絵で描かれており、その手前にジオラマの兵士や馬を配置することによって立体的な効果を高めている。
(中略)
 アトラクションでは1864年7月22日、アトランタの町が灰と化した日の様子を再現。ナレーションに加え、照明や音楽、大砲や馬の蹄の音も加えて盛り上げる。南軍の犠牲者は8000人、北軍も3700人死亡という激戦であった。(ダイヤモンド社『地球の歩き方』より引用)』

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『南北が対立する大きな要因は奴隷制度をめぐる利害の不一致だった。独立革命後、北部各州では1780年代より奴隷貿易と奴隷制度の廃止に踏み切っていた。逆に綿花栽培が盛んだった南部各州では、綿花を輸出する需要が増え、奴隷制度は拡大する一方だった。
 南北戦争は連邦を脱退した南部6州による同盟政府により1861年、リンカーンの連邦復帰要請の演説後、南部側のサムター要塞砲撃から勃発。国力の面で圧倒的に北軍有利で短期決戦が予想されていたが、サムター要塞の戦いでは南軍の圧勝。4年もの長い年月戦いが続いたのは、北軍に比べて優秀な陸軍士官学校の卒業生が多く、才能のあるロバート・リー将軍が指揮官だったことも大きいといわれている。また軍人になる比率が高かった点もあげられている。
 北軍は苦戦しながらも勝勢を確立。リンカーン大統領は1862年奴隷解放の予備宣言を公布。1865年北軍の勝利で戦勝は終結。1868年に黒人の市民権、70年に選挙権も承認され、白人と同等の権利を得たかのようだが、実際には開放されても財産が無く、元の農園で働かざるを得なかった。1877年、北部人の撤退後、南部では逆に黒人差別が広がっていくのだった。(JTB『ワールドガイド』より引用)』

 ここから1世紀近くを経て、歴史はマーチン・ルーサー・キングJr.の公民権運動へと繋がっていきます。同氏はアトランタで生まれ育ったんですね。