2年半楽しんだ広島から関西へ。こちらでも同じくらい過ごした頃、どちらのお好み焼きが美味しいか結論を出したいと思います。
司馬遼太郎著『燃えよ剣』
司馬遼太郎著
『燃えよ剣』
(新潮文庫)

moeyoken

久しぶりに司馬作品を読みました。

「幕末の動乱期を新撰組副長として剣に生き剣に死んだ男、土方歳三の華麗なまでに頑な生涯を描く。武州石田村の百姓の子“バラガキのトシ”は、生来の喧嘩好きと組織作りの天性によって、浪人や百姓上りの寄せ集めにすぎなかった新選組を、当時最強の人間集団へと作り上げ、己れも思い及ばなかった波紋を日本の歴史に投じてゆく。「竜馬がゆく」と並び、“幕末もの”の頂点をなす長編(巻末より)」

土方歳三の思想を司馬さんの言葉を借りてここに残したいと思います。

<組織としての局長・近藤勇と副長・土方の役割について>

沖田は、大きな声で言った。
「土方さんは、みなに憎まれていますよ。山南さんはむろん、土方さんを憎みきっている、蛇蝎のように、といっていい」
「それがどうした」
平然としている。
「どうもしやしませんよ。ただ、みな、あなたを怖れ、あなたを憎んでいる。それだけは知っておかれていいんじゃないかなあ」
「近藤を憎んでは、いまい」
「そりゃあ、近藤先生は慕われていますよ。隊士のなかでは、父親のような気持ちで、近藤先生をみている者もいます、あなたとはちがって。―――」
「おれは蛇蝎だよ」
「おや、ご存知ですね」
「知っているさ。総司、いっておくが、おれは副長だよ。思いだしてみるがいい、結党以来、隊を緊張強化させるいやな命令、処置は、すべておれの口から出ている。近藤の口から出させたことが、一度だってあるか。将領である近藤をいつも神仏のような座においてきた。総司、おれは隊長じゃない、副長だ。副長が、すべての憎しみをかぶる。いつも隊長をいい子にしておく。新選組てものはね、本来、烏合の衆だ。ちょっと弛めれば、いつでもばらばらになるようにできているんだ。どういうときがばらばらになるときだか、知っているかね」
「さあ」
「副長が、隊士の人気を気にしてご機嫌とりをはじめるときさ。副長が、山南や伊東(甲子太郎)みたいにいい子になりたがると、にがい命令は近藤の口から出る。自然憎しみや毀誉褒貶は近藤へゆく。近藤は隊士の信をうしなう。隊はばらばらさ」
「ああ」
沖田は、素直にあやまった。
「私がうかつでした。土方さんが、そんなに憎まれっ子になるために苦労なさっているとは知らなかったなあ」
「よせ」
沖田の口から出ると、からかわれているようだった。
「性分もあるさ」
にがい顔で、いった。

<新選組はどんな価値観ですすむべき道を決めるべきか>

「が、歳。―――」
と、横から低い声がきこえた。
近藤である。つぶやいている。
「お前は一本調子で結構だが」
「結構だが?」
「お前の留守中、京も、変わったのだよ」
大政奉還のことをいっているのであろう。この急変に、近藤はどう処していいのかわからなかった。
「将軍は、政権を天朝に返上してしまわれたんだよ」
「その話はあとだ」

(中略)

「近藤さん」
と、そのあと、近藤の屋敷でいった。ほかの隊の者はいない。
「われわれは、節義、ということだけでいこう。時勢とか、天朝、薩長土がどうの、公卿の岩倉がどうの、というようなことをいいだすと、話が妙になる。近藤さん、あんたの体から、あかをこそげ落としてくれ」
「あか?」
「政治ということさ。あんたは京都にきてからそいつの面白さを知った。政治とは、日々動くものだ。そんなものにいちいち浮かれていては、新選組はこのさき、何度色変えしなければならぬかわからない。男には節義がある。これは、古今不易のものだ。―――おれたちは」
歳三は、冷えたお茶を飲みほしてから、
「はじめ京にきたときには、幕府、天朝などという頭はなかった。ただ攘夷のさきがけになる、ということだけであった。ところが行きがかり上、会津藩、幕府とは縁が深くなった。しらずしらずのうちにその側へ寄って行ったことであったが、かといっていまとなてこいつを捨てちゃ、男がすたる。近藤さん、あんた日本外史の愛読者だが、歴史というものは変転してゆく。そのなかで万世に易らざるものは、その時代その時代に節義を守った男の名だ。新選組はこのさい、節義の集団ということにしたい。たとえ御家門、御親藩、譜代大名、旗本八万騎が徳川家に背をむけようと弓をひこうと、新選組は裏切らぬ。最後のひとりになっても、裏切らぬ」

(中略)

「近藤勇、土方歳三の流儀でゆく、それだけでよい」
「が、局中は動揺している。なにか告示すべきだろう」
「いや、言葉はいけない。局中に節義を知らしめることは、没節義漢を切ることだ。その一事で、みな鎮まる。まず、脱盟して薩摩藩側に奔った伊東摂津(甲子太郎)」

<近藤勇と土方歳三の違い1(鳥羽伏見の戦い前夜)>

近藤はひどく気の弱い話をした。
「時勢は変わってしまった」
というのである。いずれ天朝中心の世の中になるであろう。そのとき、自分は賊軍にはなりたくない、といった。
「近藤さん、もうよせよ」
と、歳三は何度もとめた。体に障る。さわるだけでなく、近藤という男の弱点がみえてきて、歳三はいやなのだ。
(このほとはやはり英雄ではある)
と、歳三はおもっていたが、しかしながらそれはあくまでも、時流に乗り、勢いに乗ったときだけの英雄である。勢いに乗れば、実力の二倍にも三倍にも能力の発揮できる男なのだ。
が、頽勢によわい。
情勢が自分に非になり、足もとが崩れはじめてくると、近藤は実力以下の人間になる。
(凧のようなものだ。順風ならば、風にもちあげられ自分も風に乗り、おだてに乗り、どこまでもあがってゆくおお凧だが、しかし一転風がなくなれば地に舞いおちてしまう)
そういう型であって、これは非難すべきものではない。
(しかし)
おれはちがう、と歳三は思っていた。
みしろ頽勢になればなるほど、土方歳三はつよくなる。
本来、風に乗っている凧ではない。
自力で飛んでいる鳥である。
と、自分を歳三は評価していた。すくなくとも、今後そうありたいと思っている。
(おれは翼のつづくかぎりどこまでも飛ぶぞ)
と思っていた。

<近藤勇と土方歳三の違い2(鳥羽伏見の戦い敗戦後、下総・流山の戦いにて)>

(補足:近藤勇は官軍に降伏しようとしている)

歳三は激論した。
ついに、泣いた。よせ、よすんだ、まだ奥州がある、と歳三は何度か怒号した。最後に、あんたは昇り坂のときはいい、くだり坂になると人が変わったように物事を投げてしまうとまで攻撃した。
「そうだ」
と近藤はうなずいた。
「賊名を残したくない。私はお前と違って大義名分を知っている」
「官といい賊というのも、一時のことだ。しかし男として降伏は恥ずべきではないか。甲州百万石を押えに行く、といっていたあのときのあんたにもどってくれ」
「時が、過ぎたよ。おれたちの頭上を通りこして行ってしまった。近藤勇も、土方歳三も、ふるい時代の孤児となった」
「ちがう」
歳三は、目をすえた。時勢などは問題ではない。勝敗も論外である。男は、自分が考えている美しさのために殉ずべきだ、と歳三はいった。
が、近藤は静かにいった。おれは大義名分に服することに美しさを感ずるのだ。歳、ながい間の同士だったが、ぎりぎりのところで意見が割れたようだ、何に美しさを感ずるか、ということで。
「だから歳」
近藤はいった。
「おめえは、おめえの道をゆけ。おれはおれの道をゆく。ここで別れよう」
「別れねえ。連れてゆく」
歳三は、近藤の利き腕をつかんだ。松の下枝のようにたくましかった。
ふってもぎはなつかと思ったが近藤は意外にも歳三のその手を撫でた。
「世話になった」
「おいっ」
「歳、自由にさせてくれ。お前は新選組の組織を作った。その組織の長であるおれをも作った。京にいた近藤勇は、いま思えばあれはおれじゃなさそうな気がする。もう解きはなって、自由にさせてくれ」
「・・・・・・・」
歳三は近藤の顔をみた。
茫然とした。
「行くよ」
近藤は、庭へおりた。おりるとその足で酒倉へゆき、兵に解散を命じ、さらに京都以来の隊士数名をあつめて、
「みな、自由にするがいい。私も、自由にする。みな、世話になった」
近藤は、ふたたび門を出た。
歳三は追わなかった。
(おれは、やる)
オハイオ州のとある町で
ナッシュビルからシンシナティーで乗り継いでオハイオ州のコロンバスという町へやって来ました。

シンシナティー・コロンバス間の上空より
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コロンバスで車をレンタル。スバルのレガシーでした。スバルの車は初めて運転しましたが、ハンドルがどっしりと安定した感じで運転しやすかったです。
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オハイオへ来るとよくBob Evansというレストランチェーンを見かけます。入ったことはないのですが、何となく気になります。チャンスがあればトライしてみよう。

コロンバスから100kmほど走ったところの風景。コーンが見事に刈られていました。
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その付近に渋い感じの川と橋を発見。
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水は茶色でしたが、それでもカヌーで下ってみたくなります。
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橋の上から下流側を撮影。日本の川と違い、護岸されていないのが嬉しいですね。
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町の中心部へ行ってみると、見事な建物がありました。どうやら裁判所のようです。
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1812年の戦いで亡くなった多くの兵士たちがここに眠っているそうです。
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アメリカの地方都市らしい雰囲気です。
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ちょっとした旅を楽しみました。
J. Percy Priest Lakeでカヌーをしました
友人とカヌーで遊ぼう、と西ナッシュビルの川へ遊びに行きましたが、前日の大雨の影響で水位がかなり上がり、コーヒー牛乳色の濁流になっていました。普段あまり流れのないところにもかかわらず、見たところ流れは推定時速8~10km。危なそうなので、泣く泣く行動を断念しました。

湖なら危なくないよね、とナッシュビル空港近くのJ. Percy Priest Lakeへ場所を移します。

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自分のカヌーを湖に浮かべたのは初めてです。
友人には前に乗ってもらい、自分は後ろで舵を取ります。

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はるか彼方に浮かぶ小島を見つけました。
とりあえず行ってみよう、と漕ぎ進めます。

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到着。
ブッシュがあるだけで他には何もありませんでした。自分達がここへ上陸した初めての日本人かもしれません。

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来週末、再び川へ行ってみます。雨が降らなければ平常水位へ戻って、カヌーで遊べるでしょう。
カントリー・ミュージック・マラソン
ナッシュビルで行われたカントリー・ミュージック・マラソン(ハーフの部・21km)に参加しました。

3週間前に友人とワインを飲みながら、軽いノリで「やろう」と約束して、数日後、エントリーしたのです。酒の席での口約束は何が何でも守らなければなりませんからね。
それからジムへ通い、今日までにちょうど100km走りこんで(実際は歩きこんで)きました。

先頭集団のスタートは朝6:50頃。自分がスタートラインに立つまで暫くかかりそうです。参加者は3万2千人とのこと。
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いよいよスタートです。
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7:28にパルテノン付近をスタート。ブロードウェイ方面へ向かいます。

昔の鉄道駅、ユニオン・ステーション
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バットマンビルとダウンタウンの中心街
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同じくダウンタウンの中心街(同マラソンHPより引用)
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1マイル(1.6km)毎にミュージシャンの演奏が盛り上げてくれます。
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ミュージック・ロウといわれる音楽街
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頑張れ~!というメッセージ。I can do it!!!
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10マイル(16km)地点通過。残り5km。心肺機能、足の筋肉、ともにまだ大丈夫そうです。
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テネシー州議事堂
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カンバーランド川の向こうにゴールであるLPフィールド(テネシー・タイタンズの本拠地スタジアム)が見えてきました!
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ゴール!
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周りのランナーに引っ張ってもらい、何とか21kmを完走することができました。タイムは2時間21分02秒。予想より40分ほど早く、大満足です。

友人に誘われなかったら一生マラソン大会に出ることはなかったと思います。
本当に友人に感謝です。

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これで、またハンバーガーやフレンチフライをもりもり食べられるぞ~
危ない危ない。。。
Automotive Hall of Fame(自動車殿堂)
デトロイトにあるAutomotive Hall of Fame(自動車殿堂)を訪れました。
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「自動車殿堂は世界の自動車関連業界で卓越した活躍をする方々を賞賛する唯一の機関です。また、各個人の創造力、労苦そして才能をたたえることにより、その軌跡の記録に貢献しています。自動車殿堂は見学の場として訪れる方を魅了するばかりでなく、人々が各々の仕事や人生において飛躍のための鍵となる情報もご提供しています(自動車殿堂パンフレットより)」

Hall of Honor
殿堂入りした約200人のリーダーの名前が刻まれています。トーマス・エジソンの名前もありました。
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自動車に関する様々な歴史が展示されています。
アメリカで最初のハイウェイ。このルートを旅してみたいですね。
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懐かしい車が展示されていました。子供の頃は「ビートル」という名前を知らず「ワーゲン」という名前の車だと思っていました。
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ホンダコーナー
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トヨタコーナー
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自動車の町、デトロイトを感じました。
 
Automotive Hall of Fame
21400 Oakwood Boulevard
Dearborn, MI 48124
www.automotivehalloffame.org