2年半楽しんだ広島から関西へ。こちらでも同じくらい過ごした頃、どちらのお好み焼きが美味しいか結論を出したいと思います。
帝王(広島の芋焼酎)
広島県福山市の本格芋焼酎「帝王」
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芋焼酎は九州のイメージですが、広島というのが嬉しいですね。
すっきりとした味わいで美味しかった。
色々と広島を研究していかねば。
司馬遼太郎が描く幕末・明治人物群像~桂小五郎~
1833~77 長州萩藩士。幕末の志士。明治維新の三傑と称された指導的政治家(後の木戸孝允)。維新後の版籍奉還、廃藩置県の断行を主導、参議、地方官会議議長。44歳没。

(蛤御門の変)・・・桂は事変の当日、戦闘がはじまるまで、河原町の長州藩邸にたしかにいた。・・・藩の京都代表である小五郎は、この男の慎重な性格からして、あくまでも武装入洛には反対し、長州勢が京を三方から包囲したときも、藩邸を出ず、長州の遠征部隊の陣にも走らなかった。

・・・できれば逃げよというのが、殺人否定に徹底した師斉藤弥九郎の教えであった。自然斉藤の愛弟子だった桂は、剣で習得したすべてを逃げることに集中した。これまでも幕士の白刃の林を曲芸師のようにすりぬけてきた。池田屋の変のときも、この男は特有の直感で寸前に難を避けた。唯一の生残りである。

・・・維新はこの4年後に来る。その間も、おびただしい数の志士が、山野に命をすてた。が、桂は生き残った。新政府から元勲とよばれる処遇をうけた。皮肉ではない。元勲とは生きたという意味なのであろう。維新後、政治家としての桂は、なにほどの能力も発揮しなかったが、そこまで生き得たというのは桂の才能というべきであろう。維新後の桂(木戸孝允)の毎日は、薩摩閥の首領大久保利通に対し、長州閥の勢力を防衛することに多くの勢力をさかれた。
山口県防府市&毛利敬親
山口県防府市を訪れました。
この漁港?に食堂があって、防府の海の幸を楽しむことができます。
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山口県と言えば長州藩ですね。

毛利家庭園と毛利博物館
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毛利博物館は幕末に活躍した毛利敬親についての展示が充実しているとか。
今回は中に入る時間をとれませんでしたが、次はゆっくりと楽しみたいと思います。
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次回のためにちょっと予習を。(ウィキペディアより引用)

毛利 敬親 / 慶親(もうり たかちか / よしちか)は、長州藩の第13代藩主(安芸毛利家25代当主)。幕末の混乱期にあって、有能な家臣を登用し活躍させ、また若い才能を庇護することで、窮乏していた長州藩を豊かにし、幕末の雄藩に引き揚げ、結果として明治維新を成し遂げるきっかけを作った人物として有名である。

藩政改革
天保9年(1838年)に萩に入り、翌年より質素倹約と貨幣流通の改正を行う。村田清風を登用して、藩政改革を断行。村田の死後は、村田とともに藩政改革を担った坪井九右衛門を登用した。天保12年(1841年)、江戸に文武修業の場である藩校有備館を建設、領内の実態調査を実施し、天保14年(1843年)には萩で練兵を行い、藩の軍事力の強化にも務めた。敬親の改革はこれだけに留まらず、嘉永2年(1849年)、藩校である明倫館の改革をも断行した。

第一次長州征伐
嘉永6年(1853年)、アメリカ合衆国の提督・ペリーが来航すると相模国周辺の警備に当たった。安政5年(1858年)8月、密勅を受け、「尊王」に尽力することとなった。同年、坪井九右衛門を引退させ、周布政之助らを登用。藩論として「攘夷」の意見を幕府に提出した。以後敬親は周布を重用し、藩是三大綱を決定、藩の体制強化と洋式軍制の導入する改革を開始した。
文久元年(1861年)、長井雅楽を登用し、航海遠略策により朝廷と幕府との協調策を模索するが、政局の主導権を長州藩に握られることを恐れた薩摩藩の妨害によって長井の政略は失敗した。この後、藩論は周布や桂小五郎らが主導する攘夷へと大きく方針を転換した。文久2年(1862年)7月、攘夷の実行を藩の方針とし、文久3年(1863年)4月には藩庁を萩城より山口城に移転させ、5月には外国船の打ち払いを開始、アメリカ・フランスの軍艦からの報復攻撃を受けた。同年の「八月十八日の政変」により長州藩は京を追われた。翌元治元年(1864年)6月、池田屋事件で多くの長州藩士が会津藩麾下の新選組によって殺害・捕縛されるにおよび、藩は京に出兵し、7月には禁門の変を引き起した。この長州の暴挙に対して朝廷は幕府に対し長州征討を命じ、8月には敬親の官位を剥奪した。さらに同月には英仏蘭米の4ヵ国の連合艦隊が下関に襲来し敗北する(下関戦争)。第一次長州征伐が開始されると、国司信濃・益田右衛門介・福原越後ら3家老を切腹させ恭順し、10月に萩に謹慎した。

尊王攘夷から尊王開国、薩長同盟と倒幕
慶応元年(1865年)、松下村塾出身の高杉晋作らが馬関で挙兵し、俗論派(保守派)を打倒するクーデターを実行する。これにより正義派(倒幕派)政権が成立すると、高杉らが結成した奇兵隊や民間の軍事組織である長州藩諸隊を整備し、大村益次郎を登用して西洋式軍制を採用し、ゲベール銃やミニエー銃など新式兵器を配備して、戦術の転換など大規模な軍事改革を行う。慶応2年(1866年)、坂本龍馬の仲介で薩長同盟を結び、同年8月の幕長戦争(第二次長州征伐)にも勝利した。慶応3年(1867年)、イギリスとの関係を構築し、10月には討幕の密勅を受けた。そして同年11月には薩摩藩らと共に官軍を組織して上京。王政復古のクーデターを成功させる。敬親は慶応4年(1868年)5月に上洛し、明治天皇に拝謁して左近衛権中将に任ぜられると山口へと帰った。
Bogle メルロー
ワイナリー:Bogle Vineyards
種類:Merlot
年:2008
地域:アメリカ/カリフォルニア/Graton
価格:10ドル
再購入:する

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ワインを飲み始めた頃に
「10ドルくらいまでで美味しいワインはないかな」
と色々試してヒットした一本がBogleでした。
2~3年毎に飲みますが裏切られません。
浜矩子(はまのりこ)『「通貨」を知れば世界が読める』
浜矩子(はまのりこ)著
『「通貨」を知れば世界が読める』
(PHP研究所)

tsuukasekai

著者は1ドル=50円の時代が来る、と予想しています。
一つの見方として、備忘記録としてここに残します。

~完全に基軸通貨国であることを放棄したアメリカ~

1ドル50円時代の到来を主張する理由は二つある。一つはドル側要因、もう一つは円側要因である。
まず、ドル側の要因であるが、「ドルの過大評価が修正される力学はもはや抗いがたい。その流れは日本に何があろうと、それとは無関係に動き続ける」ということである。
歴史の中で、波状攻撃的に押し寄せてきたドル危機については前章までで見たとおりである。ニクソン・ショックからリーマン・ショックに至るまで、この波状攻撃の衝撃と広がりは多彩で情け容赦ない。リーマン・ショックは、本丸を襲って大手の金融機関を血祭りにあげた。基軸通貨ドルの退場を迫る歴史の圧力は着実に高まっている。それに加えて、グローバル時代の到来が基軸通貨体制そのものの土台を突き崩しつつある。
ここまで、いわば外枠的なドル減価要因が整えば、それだけで十分過ぎるくらいのドル安展望材料が整う。しかも、それに加えて、このところはアメリカ自身のドル安待望感が際立つようになっている。いち早く金本位を放棄しながら、基軸通貨国特権、すなわち自国通貨で借金ができるという有利さには固執してきたアメリカだが、ここにきて、ついにその発想も変わってきたようだ。
アメリカの大統領は、毎年の年頭に「一般教書演説」を行う。そこで向こう一年間の政策方針とその背景となる考え方が語られる。その意味で、注目の演説だ。
この注目の大演説の2010年版においてオバマ大統領は、「向こう5年間でアメリカの輸出を倍増させる」という輸出倍増宣言を打ち出した。
リーマン・ショック以前までのアメリカの経済は、ITと金融が支えていた。だが、それが崩壊してしまった以上、輸出立国を目指そうということである。
輸出立国を目指すということは、通貨政策上は「ドル安」のほうがいいということになる。しかも、今のアメリカの状況を考えれば、相当にアグレッシブなドル安政策を展開しないことには、輸出倍増は叶わないだろう。つまり、「輸出倍増宣言」は、すなわちドル安容認宣言に他ならない。そういうことだなと思いながら、あの時のオバマ演説に聞き入った。
輸出倍増宣言もそれなりに衝撃的だったが、もっと驚かされたのが、2011年の一般教書演説だった。ここでオバマ氏は、この人とは思われない過激な調子でアメリカ至上主義発言を連発した。
「本年以降、世界で誕生する新たな雇用機会は全部アメリカで産まれるものでなければいけない」
「今後、起こる新たなイノベーションは全部アメリカで起こるものでなければいけない」
こんな調子であった。アメリカよければすべてよし。それに徹した演説だった。輸出倍増の次は、雇用一人占めである。この路線を追求するのであれば、ドル高は明らかに国益に反する。ドル安追求への舵の切り替えを昨年にも増して印象づける一般教書演説であった。

~震災で判明した、円の本当の実力~

1ドル50円を想定させる日本側の要因に移ろう。
2011年4月現在、東日本大震災の影響により、東北、北関東を中心に企業の生産活動全体が停滞している。原発事故にともなう停電と節電により、工場の操業にブレーキがかかっている。しばらくはこの状況が続くことになりそうだ。
まさに、経済的大ピンチである。このような状況下では、大規模な円離れが進んでもまったく不思議ではない。復興に要する資金の規模を考えても、日本の財政事情がさしあたり大幅に悪化することは目に見えている。長年の課題だった金利水準の正常化も、今の状況の中では目処がたたない。事実上のゼロ金利状態が当分の間続くことになりそうだ。
経済の先行きはどうなるかわからない。財政事情は悪化が必至だ。そして金利は低いまま。これだけ悪材料が整えば、超円安に転じても不思議はない。
ところが、現実はどうか。東日本大震災が起きてから一ヶ月半が経過した4月末現在、1ドルは80円台前半。震災が起きた3月11日以前とほとんど変わっていないのである。先ほど述べたリスクを考えれば、一気に90円とか100円台になってもいいようなものだが、そうはなっていないのだ。
ここにも隠れ基軸通貨の秘めたる威力が表れている。あれこれ言っても、そう簡単に円を手放すわけにはいかない。そのような構図がグローバルな通貨金融市場においてできあがっているということだ。円が特段の人気通貨だというわけでもない。だが、持っておかないわけにはいかない。気がつけば、円なしでは生きていけない。そのような円の位置ずけが、被災後の推移の中に滲み出ている。

~「有事のドル買い」はもはや過去のもの~

同じような傾向が震災の前にも見られた。2010年11月、北朝鮮が韓国の延坪島を突然砲撃するという事件が起こったことをご記憶だろう。民間人に死者が出て、韓国軍も報復のための砲撃を行うなど、両国間の緊張が一気に高まった。
こんな緊迫した場面が到来し、しかもそれが朝鮮半島を舞台にしたものだとなれば、かつてなら、一気に「有事のドル買い」と「有事に弱い円」の集中売りが進んだはずである。現に、北朝鮮による大韓航空機爆破事件などの際には、こうした動きが顕著に見られた。
ところが、今回はどうであったか。円の値動きはわずかの2円程度に過ぎなかった。大量の「有事のドル買い」は進まず、早々に問題発生前の円ドル関係に立ち戻った。有事のドル頼みは、もはや神通力を失ったようである。むしろ、有事に左右されない円高の根強さを印象づける一場面であった。これらのことを総合してみれば、ドルが円に対して値を下げていくという動きが、今後変化するとはなんとも考えにくい。
むしろこれからの注目点は、1ドル50円への展開がどのような形をとるのかということだろう。急激に来れば来るほど打撃は大きい。備えがなければないほど、痛手を被る。その日から目を背けるのではなく、むしろ、その日をいつにするのかを自ら決めるくらいの構えで臨むことが妥当だろう。
1ドル50円時代の到来は世界のドル離れ時代の到来を意味する。ドル相場の動きに一喜一憂させられる日々から解放されたいのであれば、1ドル50円はむしろ目標とすべき相場圏なのである。