2年半楽しんだ広島から関西へ。こちらでも同じくらい過ごした頃、どちらのお好み焼きが美味しいか結論を出したいと思います。
ひろしまフードフェスティバル
毎年開催されているという「ひろしまフードフェスティバル」へ遊びに行きました。

とにかく人・人・人で歩くのも大変(6歳の長男、2歳の次男を連れて行くのは特に・・・)でしたが、「どれを食べようか?」と迷うのが楽しく、食べたらどれも美味しくて幸せな気分になりました。

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家内が前から食べたかった、という『ぽったり何とか』???
牡蠣の焼きおにぎりです。
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塩田で育てたという新鮮な車海老。
お店の人のアドバイス通り、殻を剥かないで(食べれるの?)そのままガブリ。
いい塩加減の香ばしさ、サクっとした歯ごたえの殻、とてもジューシーな身、濃厚なエビミソの風味、、、
今まで食べた中で最も美味しいと感じた車海老でした。
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自分は鮎よりもヤマメの方が好きです。
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口の中でトロ~リととろけたフォアグラ丼
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ジューシーさが口の中で広がった広島牛カルビ
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来年も是非とも遊びに来たいです。
安芸の宮島/厳島神社
安芸の宮島へ。

宮島観光公式サイトhttp://www.miyajima-wch.jp/index.htmlより宮島の歴史を抜粋します。

宮島は太古からその島の姿と弥山を主峰とする山々の霊気に満ちた山容から、周辺の人々の自然崇拝の対象となっていました。推古元年(593年)、佐伯部(さえきべ)の有力者であった佐伯鞍職(くらもと)が現在の場所に嚴島神社を創建。大同元年(806年)には唐から帰朝した僧空海(弘法大師)が宮島に立ち寄り、弥山を開山したと伝えられます。

嚴島神社は平安時代末期、安芸守から太政大臣に昇りつめ栄華を極めた平清盛とその一族の守護神として篤い信仰を得たことから、世に広く知られるようになりました。神主・佐伯景弘は清盛の援助を得て、竜宮城や極楽浄土を模したともいわれる華麗な海上社殿を造営。この平安時代には清盛をはじめとする平家一門ほか、後白河法皇・高倉上皇・建礼門院ら多くの皇族や貴族が社参しています。平家が壇ノ浦に滅んだ後も、鎌倉幕府や室町幕府、地元の領主大内氏や毛利氏、また天下人となった豊臣秀吉も嚴島神社を信仰し、篤く庇護しました。

宮島は神職や僧侶でさえ島に渡るのは祭祀の時のみで、島に上陸する際も厳重な潔斎(けっさい)が必要でしたが、宮島信仰が世に浸透していくにつれ祭礼・法会に参集する参詣者が増え、鎌倉末期になると神職や僧侶、次いで役人や庶民が住み始め、町が形成されていきました。さらに室町時代に入り物資の流通・交易が活発になると、交易・商業都市、瀬戸内海の要衝をなす港湾としての性格を加え、神の島は急速に変貌を遂げていったのです。

戦国時代には日本三大奇襲戦の一つに数えられる弘治元年(1555年)の厳島合戦の舞台にもなりました。主君大内義隆に反旗を翻し、義隆を討った陶晴賢に対し、兵を挙げた毛利元就は暴風と暗闇にまぎれて対岸の地御前から3500の兵を引き連れて密かに包ヶ浦に上陸。塔の岡の背後の尾根である博打尾(ばくちお)に登り、一気に陶軍の本陣めがけて攻め下りました。陶軍は混乱し、戦うすべもなく敗走。中国地方や豊前・伊予を支配するようになった毛利氏は、その後の嚴島神社の発展に大きく寄与しています。

江戸時代になると福島正則が安芸国の藩主となり、宮島の商業・廻船業を保護。続いて藩主となった浅野氏もそれを継承したことから、この時代は交易の中継基地・瀬戸内地方の文化の中心地として栄えました。

江戸時代の嚴島神社は社家を代表する棚守、供僧を統括する大聖院、寺社造営修理を掌った大願寺の三者による経営体制が維持されていましたが、明治維新後の新政府は明治元年(1868年)神仏分離令を発令。寺院の多くは廃寺となり、嚴島神社や千畳閣・五重塔にあった仏像も大聖院や大願寺に移されるなどの混乱がありました。明治4年(1871年)嚴島神社は官幣中社となり、明治8年(1876年)には傷みの進んでいた大鳥居が建て替えられ現在の8代目が完成。江戸期には芝居や富くじ興行、遊郭で賑わった島内も新しい時代にふさわしい観光地として近代化が図られ、明治の半ばの山陽鉄道宮島口駅開業、宮島航路の開通により多くの観光客が訪れるようになりました。

大正12年(1923年)に全島が国の史跡名勝、昭和4年(1929年)に弥山北麓の原始林が天然記念物、昭和27年(1952年)に全島が特別史跡・特別名勝の指定を受け、さらに平成8年(1996年)嚴島神社とその背後の弥山一帯が世界文化遺産に登録されました。

牡蠣を養殖している筏(宮島へ向かうフェリーの中から)
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鹿さんがいっぱいいました。
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干潮まであと1時間。水が少ないなあ。
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水がすぅっと引いていきます。ヤドカリの集団が出てきて息子たちは大喜び。
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アツアツの揚げもみじ(まんじゅう)は絶品!
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次は水位が高くて、快晴の日に行くことにしよう。
金田秀治著 『超トヨタ式チェンジリーダー』
金田秀治著
『超トヨタ式チェンジリーダー』
日本経済新聞社

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備忘記録。

チェンジリーダーとは、簡単に言うと、組織を良い方向へと変化させる(イノベーションを起こさせる)人間のことである。

<1>チェンジリーダーの三つのタイプ

チェンジリーダーの特性をもつ人材は全体の中で10%もいない。従って、人材確保の考え方は「まず育成」ではなく「まず発見」である。

①「言い出し屋」であるコンセプトメーカー

イノベーション活動は、「言い出し屋」から始まる。活動の出発点で「ありたい姿」を描いて「チャレンジテーマ」を設定し、活動を方向づけるのが、「言い出し屋」(=リーダー)としての役割である。
コンセプトメーカーでもあるこの役割は非常に難しい。最大の問題は、投げかけたテーマに人々がどのような反応を示すかである。まったく無視されるか、多少の興味はひくのか、果たして「是非やってみよう」と前向きの姿勢を見せる人々が出てくるかどうか。「まあとてもムリとは思うけど、面白うだから取り組んでみようか」という仲間を、まずは4,5人集めることが言い出し屋の最大の役割である。

②「トライリーダー」であるトライの実行責任者

イノベーション活動の次の主役は、「トライリーダー」である。トライリーダーは、チャレンジテーマに対して「トライ」を仕掛け、活動を具体化していくという実行面の責任者である。
業界常識(あるいは社内常識)をはるかに超えるテーマに取り組むとは、いま持っている常識的な知識・技能では解決策が出てこないということである。したがって、そこでは新たに「知恵を出す」ことが要求される。その一番確かな方法は「まずはやってみる」ことである。そこにトライリーダーの価値がある。
まずは「アイディア」を出す。そのアイディアの可能性の確認として「まずはそのアイディアでやってみる」。アイディアはしょせんアイディアだから、うまくはいかないのがまず普通である。しかし、「やってみる」ことによって、「そうか、こうすれば何とか可能かもしれない」という点に「気づく」。この「気づき」を「後知恵」と呼ぶ。私の今までの経験でも、まずはやってみると、ほぼ100%「こうしたらうまくいくかもしれない」ということに必ず気づく。気づきが出なかったことは一度もない。「知恵(後知恵)は必ず出るものである」というのが渡しの経験則である。逆に実行のないところには、いい知恵が生まれない。この知恵を引き出すところに「トライリーダー」の最大の役割があるといえる。

③「説得屋」である現場展開の責任者

トライを通じて出てきた「後知恵」によって改善策は生まれる。そして、最終的にまとまった改善策に従って、現場では新たな作業に行こうしていく。その場合、従来とはまったく異なる作業を強いられる作業者にとっては当然、抵抗感がある。
したがって、そこには「説得」という活動が必要になる。イノベーション活動を実際に現場で展開していくうえで、現場を巻き込むための説得をするのもチェンジリーダーの重要な役割である。
長年、チェンジリーダーの役割をしてきた私にとって、チェンジリーダーとはどんなことをするのか、と聞かれれば、最終的には、「なだめ・すかし・おどし」が'役割だったというのが実感である。もちろん、その手前では自分たちがやろうとしていることの意味や思いをきちんと伝え、やりとりをして納得してもらうという働きかけをする。しかし、最後は迫力で押し切っていくだけの覚悟も現場責任者には必要なのである。

<2>チェンジリーダーの考課要素

トヨタでは、マネージャー(チェンジリーダー)の考課要素を、「課題想像力(20%)」、「課題遂行力(30%)」、「組織マネジメント力(20%)」、「人材活用力(20%)」、「人望(10%)」の五つからなる、としている。

「課題創造力:物事の本質を見通した上で、組織として斬新な企画を打ち出す力」
考課項目
① 習慣にとらわれない革新的発想。
② 中長期的な展望を踏まえた企画立案と提示。

「課題遂行力:組織として成果を結実させる力」
考課項目
① 適切な状況判断
② 決断
③ ねばり強さ

「組織マネジメント力:課題達成のために最も効果的に組織を運営する力」
考課項目
① リソーセス(人やお金などの資源)の重点投入と業務の改廃。
② 仕事の枠組み、しくみづくり。

「人材活用力:組織メンバーの能力を引き上げ、最大限に発揮する力」
考課項目
① 適正な評価とフィードバック。
② 計画的な指導・育成。

「人望:信頼され、周囲に活力を与える力」
考課項目
① メンバーの信頼感・活力。
Chateau Meric
ワイナリー:Chateau Meric
種類:?
年:2007
地域:フランス/ボルドー/Medoc
価格:11ドル
再購入:う~ん、別のボルドーを試したいかな

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初めて買ったメドックのワインなので記録しておこうと思います。
深みがなく、表面的な酸味のみが強く感じました。自分の好みではありません、、、
でもワイン自体の問題ではなく、保存状態が悪かったのかも。
ラベルにブドウの種類が書いていないのでよくわかりませんが、ボルドーはカベネとメルローを組み合わせたワインが多い、とのこと。
フランスワインも少しずつ、飲んでいこうかな。
酒祭り(広島県東広島市西条)
広島で西条と言えば酒蔵が集まる街として有名です。
毎年この時期にその西条で『酒祭り』が開催されるというので遊びに行くことにしました。

酒祭り公式サイト http://sakematsuri.com/index.html で次のように紹介されています。

昭和49年に誕生した「東広島市」は、都市活性化と地域の融和を願って、昭和50年代から「みんなの祭り」に取り組んでまいりました。
歴史的に東広島市は、三ツ城古墳に見られるように、5世紀には、既に安芸の国の大豪族が県下最大の基盤を築いて大変栄え、又、国史跡の国分寺や鏡山城などからも地域の中枢であったことを物語っています。
そして時代を経て、江戸時代には〈西条四日市〉という宿場町として栄え、明治後半から銘醸地として発展し、その名を全国に轟かせています。
そうした豊かな地域文化資源の中から、平成2年に東広島祭委員会は「酒」をシンボル化させた《酒まつり》に発展させ、一層の地域活性化を目指して、年々内容を充実させてまいりました。
平成9年からは、この行事をさらに発展させようと、市民の皆さんのご賛同ご支援をいただいて、東広島市をはじめ、東広島商工会議所、東広島青年会議所、西条酒造協会、広島中央農業協同組合、市内各団体など各層のご支援をいただいて(社)東広島市観光協会の主催行事として《酒まつり》に取り組んでおります。
銘醸地にふさわしい酒をシンボルとした《酒まつり》は、今やユニークな祭りとして内外に存在感が高まっております。従来の「市民参加のまちづくり」「未来に翔(かけ)る歴史のまち“ひがしひろしま”」というスローガンをさらに推進するべく、広く市民の皆さんと一体となって、豊かな郷土愛を育んでゆくことが願いでございます。
市内外の人達の「出会いと交流の場を作り、空間を演出して、自分も楽しみ、人をも楽しませたいという“もてなしの心”を大切にし、都市活性化を支える役割を担いたい」と願っております。
今後とも《酒まつり》の趣旨をご理解くださいまして、ご支援、ご協力を賜りますようお願い申し上げます。
平成24年6月吉日

各種イベントがありますが、「酒ひろば」では日本全国から集結した約900銘柄を日本酒の飲みくらべ(1800円)を楽しむことが出来ます。

朝10時過ぎから一緒に行った仲間達と飲みくらべ。
入り口でお猪口をもらって「全国銘酒出品目録」を見ながら、飲みたいお酒をもらいにいきます。
日本酒に明るくないので「〇〇賞受賞」と書かれたお酒を中心に攻めることに。
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島根県にはこんなお酒も・・・
出雲誉(いずもほまれ) 純米 ㈱竹下本店
「第74第内閣総理大臣、竹下登は蔵元竹下家12代当主です。現代の名工・出雲杜氏、雷田宏が丹精込めて仕上げました。」
とても美味しかったです。

広島県のお酒で美味しいなあ、と思ったのはこちら。
清盛(きよもり) 純米吟醸 榎酒蔵
「平清盛ゆかりの音戸の地酒。瀬戸内海のように穏やかでやさしいお酒。」

2時間ほど酒ひろばで軽めの宴会を楽しんだ後、「酒蔵通り」を中心にプラプラしました。
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日本酒に触れる機会が今までありませんでしたが、これがいいきかっけになるかな?