2年半楽しんだ広島から関西へ。こちらでも同じくらい過ごした頃、どちらのお好み焼きが美味しいか結論を出したいと思います。
La Finca マルベック
ワイン名称:La Finca
ワイナリー:Finca La Celia S.A.
種類:Malbec
年:2007
地域:アルゼンチン/Mendoza
価格:5ドル
再購入:する

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アルゼンチンのマルベックは有名です。
マルベックのことを詳しく知りませんが、とても飲みやすくて、はずれが少ないような気がします。
4歳になりました
3人の従妹とじいじ、ばあばが遊びに来て次男の誕生日会を行いました。
「茶碗蒸しが食べたい」
と言っていたのに、大人の都合で説得されて、近鉄デパ地下へ。
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ケーキは『妖怪ウォッチ』ものを。
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プレゼントは戦隊モノのロボットをゲット。
長男に取られて
「ニイニが貸してくれないっ」
と泣くのはいつもの通りでした。
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長男が4歳の時は、『トイストーリー』を映画館で観て、そのキャラクターのロボットを買いました。
懐かしい。
司馬遼太郎が描く幕末・明治人物群像~徳川慶喜~
1837~1913 江戸幕府十五代将軍、徳川斉昭大七子七郎麿、明治35年公爵。76歳没。

・・・ただ才華があふれ、権謀が多すぎ、頭脳の回転が常人より早すぎ、かつその進退の計算が深く、演技がありすぎることが、愚者たちにこの男を妖怪のようにみせているだけだ・・・。

・・・慶喜は歴史主義者であった。歴史主義の水戸学の家にうまれたことが、その傾向をいっそう濃くしている。水戸史観は合理的頭脳のかれには適わなかったが、その思考法も事象の把握法も、かれの場合は歴史主義であった。過去にあっては衰弱した権力を決して自然崩壊させてはいない。新興の者が地平線のいずこからおこり、かならず天子を擁し、過去の秩序に賊名を着せ、それによって天下を糾合して寄ってたかって討とうとする。将軍になれば、慶喜はその討たれ者の役になるであろう。
「だれがなるか」と、慶喜はいった。

・・・慶喜の不幸は先がみえすぎることであった。・・・朝敵になることを、世に慶喜ほど恐れる者はまれであろう。歴史主義者だけにその目はつねに巨視的傾向があり、歴史の将来を意識しすぎていた。賊名をうけ逆賊になることをなによりもおそれた。・・・そこが水戸人でもあった。
薬師寺を訪れました
先日、唐招提寺を訪れてから、今月4歳になる次男が「大仏さん」に興味を持ちはじめました。
初めて目にした時は、敵なのか味方なのか判断がつかず怖かったようで、今でも何回も、
「いい人なんよね、おそって来ないんよね」
と確かめますが。
2年生の長男も興味はあるがちょっと怖いようで、一人では目の前に行きません。

薬師寺は「法相宗(ほっそうしゅう)」の大本山です。
天武天皇により発願(680年)、持統天皇によって本尊開眼(697年)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710年)に伴い現在地に移されたものです。(718年)
(薬師寺の公式ウェブサイトより)

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物部氏が蘇我氏に滅ぼされたのが587年。
ここから天武天皇が薬師寺を建てよう、と決めるまでに約1世紀。
この間。。。

587年以降、蘇我氏が政局の中心にすわった後、政権争いに関連して、二つの大きな事件が起こります。
一つは、645年に中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足が蘇我蝦夷、蘇我入鹿を滅ぼした、ということ。これにより蘇我氏が政局から消え去りました。
もう一つは、天智天皇の死後に起きた皇位継承問題。672年に弟の大海人皇子(後の天武天皇)と子の大友皇子が争うかたちとなり、大友皇子が滅亡。壬申の乱。

天武天皇は苦楽を共にした皇后(後の持統天皇)の病気に際して、680年に薬師寺建立を祈願し、自らの病に際しても仏教に頼って快癒を願った、と言われています。

第32代 587年即位 崇峻(すしゅん)天皇
 *587年 蘇我馬子が物部守屋を滅ぼす
第33代 592年即位 推古(すいこ)天皇
 *596年 蘇我馬子が法興寺(飛鳥寺)を建立する
 *601年 聖徳太子が斑鳩宮を造営する
 *607年 聖徳太子が法隆寺を建立する
第34代 629年即位 舒明(じょめい)天皇
第35代 642年即位 皇極(こうぎょく)天皇
 *643年 朝廷が飛鳥板蓋宮に移る
 *645年 中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我蝦夷、蘇我入鹿を滅ぼす
第36代 645年即位 孝徳(こうとく)天皇
第37代 655年即位 斉明(さいめい)天皇
第38代 668年即位 天智(てんじ)天皇・・・中大兄皇子
 *669年 中臣鎌足夫人の鏡女王、京都山科に山階寺(後の興福寺)を
        建立する
第39代 671年即位 弘文(こうぶん)天皇
 *672年 壬申の乱、大海人皇子(後の天武天皇)が大友皇子を滅ぼす
        飛鳥浄御原宮に遷都
第40代 673年即位 天武(てんむ)天皇
 *680年 天武天皇が薬師寺建立を発願する
第41代 690年即位 持統(じとう)天皇
 *694年 藤原京(唐にならった最初の都城制の都)に遷都
第42代 697年即位 文武(もんむ)天皇
第43代 707年即位 元明(げんめい)天皇
 *710年 平城京に遷都

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天武天皇と薬師寺に関連する文化的背景(白鳳文化)について。

白鳳文化とは、645年の大化の改新から710年の平城京遷都までの飛鳥時代に華咲いたおおらかな文化。
法隆寺の建築・仏像などによって代表される飛鳥文化と、東大寺の仏像、唐招提寺の建築などによって代表される天平文化との中間に位置して天武天皇期に最盛期を迎えました。

薬師寺では薬師寺金堂銅造薬師三尊像等、数多くの国宝を見学できます。
建物内部は撮影禁止のため薬師寺の公式ウェブサイトより薬師三尊像の写真を紹介。
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薬師三尊像の裏側にまわると、その台座に様々な模様が彫られているのが見え、7世紀に世界の文化が日本、奈良にまで影響を及ぼしていたことがわかり、とても興味深かった。

一番上の框(かまち)にはギリシャの葡萄唐草文様、その下にはペルシャの蓮華文様が見られます。各面の中央には、インドから伝わった力神(蕃人)の裸像が浮彫りされています。さらに、下框には、中国の四方四神(東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武)の彫刻がなされています。正にシルクロードが奈良まで続いていたのです。
(薬師寺の公式ウェブサイトより)

次は法隆寺を訪れるか、東大寺を訪れるか、どうしよう。