2年半楽しんだ広島から関西へ。こちらでも同じくらい過ごした頃、どちらのお好み焼きが美味しいか結論を出したいと思います。
魚を釣ってその場で食べた!
釣り船に乗って、自分で釣った魚を食べることができる、という居酒屋『ざうお』へ。
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長男と次男でアジを一尾ずつ釣り上げて刺身にしてもらいました。
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残った身はパリっと揚げて煎餅に。
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ヒラメ釣りに挑戦!
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刺身と唐揚げに。
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アジとヒラメは身がプリプリっと弾力性があってとても美味しかった!
こちらは釣り上げていませんが、しめに鮭の釜飯を頂きます。
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釣り船のまわりには鯛、石鯛の他に
「ペットなんですよ」
と店員さんが言う、水族館で観るような大きなカニやエイも泳いでいて、子供と一緒に楽しむことが出来ました。
東大寺
興福寺を訪れた後、鹿としばし遊び東大寺へ。
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司馬さんが
「とくに一カ所をあげよといわれれば、二月堂のあたりほどいい界隈はない。」
という“界隈”を散策することにしました。

司馬遼太郎著『街道をゆく24~近江散歩、奈良散歩~』より紹介。

東大寺の境内には、ゆたかな自然がある。
中央に、華厳思想の象徴である毘盧舎那仏(大仏)がしずまっている。その大仏殿
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をなかにすえて、境内は華厳世界のように広大である。一辺約一キロのほぼ正方形の土地に、二月堂、開山堂、三月堂、三味堂などの堂宇や多くの子院その他の諸施設が点在しており、地形は東方が丘陵になっている。ゆるやかに傾斜してゆき、大路や小径が通じるなかは、自然林、小川、池があり、ふとした芝生のなかに古い礎石ものこされている。日本でこれほど保存のいい境内もすくなく、それらを残し続けたというところに、この寺の栄光があるといっていい。

(中略)

私はこの境域のどの一角もすきである。
とくに一カ所をあげよといわれれば、二月堂のあたりほどいい界隈はない。立ちどまってながめるというより、そこを通り過ぎてゆくときの気分がいい。東域の傾斜に建てられた二月堂は、懸崖造りの桁や柱にささえられつつ、西方の天に向かって大きく開口している。西風をくらい、日没の茜雲を見、夜は西天の星を見つめている。
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二月堂へは、西のほうからやってきて、大湯屋や食堂(じきどう)のずっしりした建物のそばを通り、
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若狭井のそばを経、二月堂を左に見つつ、
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三月堂と四月堂のあいだをぬけて
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観音院の前につきあたり、やがて谷を降りてゆくという道がすばらしい。
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(中略)

華厳の教学について、素人がふれることをはばかりたいのだが、わずかでも触れねば、話がすすまない。
華厳の中にある、一即多、多即一、という論理と内容は日本人の通俗哲学にさえなっているために、理解されやすい。また一輪の花に宇宙を見出し、宇宙を一輪の花に感ずるという言い方や内容は、日本ではたとえば俳句の文芸思想にまでなっている。西田哲学の「絶対矛盾自己同一」も、その醗酵の酵母の一つである華厳を念頭において読むとわかりやすい。
ただ、華厳教学において、世界は円融無礙である、と説かれているあたりから、気を「ひきしめねばならない。宇宙も地上の生物も、山水や鉱物も、すべて際限なく運動し、その運動たるや、大小となく相互に関連し、しかも相互に包みこみつつ、包みこまれてもいる。たがいの機能は相互に依存しあって存立し、一つとしてとび離れて孤立しているものはない。
従って、華厳の述語でいえば、世界は、顕微鏡的な微塵から巨大な宇宙にいたるまで、すべて「重重無尽」につながりあっており、また「相即相入」してたがいに嵌入し、嵌入され、また、他を融かし、他に融かされている。
「重重無尽」という意味の例として、ロウソクと鏡のたとえが出される。鏡に灯がうつる。その鏡の灯が他の鏡にもうつり、さらにべつの鏡にもうつり、複雑にかさなりあって無尽である―――際限もない。天地万有はみな相互にいりまじり、相互に融けあっている、という。「相即相入」もふくめて、そういう本質・関係・状態・運動を、中国の華厳学では「円」とよんだ。あるいは円融、融即などともいう。
インドや西域からきた仏典や論は、断片的だった。その矛盾を整合して、いわば精密機械のように部分が相互に関連しあって総体として動くものにした体系を円というのである。華厳宗は、円教(体系的教義)である。
「相即相入」と「重重無尽」という宇宙の真理の中心に、ビルシャナ仏(毘盧舎那仏)がいる。その光明は宇宙のいっさいの真理や状態をあまねく照らしている。東大寺でいう「大仏」のことである。
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(中略)

華厳の理論は十分科学にも耐えうるものだが、しかし、
―――それでどうなる。
という宗教的な面となると、やや弱い。奈良仏教が平安仏教に置きざりにされたのはそういう面の弱さによる。
が、別の面からいえば、平安仏教が加持祈祷のようなオカルトに堕したのに対し、東大寺は華厳という雄渾な世界観のおかげで、知的な清雅さを保ちつづけているともいえる。



興福寺五重塔と阿修羅像
奈良で司馬さんとともに歩く旅の第二弾、興福寺編です。
司馬遼太郎記念館を一緒に訪れた小二の長男に旅の趣旨を説明しましたが、あまりピンとこない様子(笑)。
司馬さんが興福寺を訪れて何を考えたか、を著作から読み取ったイメージと、自分自身で実物を見たときに感じるそれを合わせてみたい、このために「司馬さん追っかけ」みたいなことをしているのかな。

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司馬遼太郎著『街道をゆく24~近江散歩、奈良散歩~』より紹介。

さて、目の前の興福寺五重塔である。
興福寺という寺(建造物としてではなく)は、古い。よく知られているように藤原氏の氏寺として発足し、明治初年の廃仏毀釈の標的にされて堂塔伽藍のあらかたが破棄されるまでは、規模は東大寺より大きかった。寺領にいたっては、中世、大和盆地一円を領し、国持大名というべき存在だった。

(中略)

奈良朝以前、興福寺はべつの場所にあったが、奈良遷都とともに現在の場所にうつった。その時期が、和銅三年(710)とされているから、じつに古い。
その後、失火、兵火、落雷などのためにしばしば焼けたが、藤原氏を背景とする経済力が大きかったために、そのつど、再建された。
五重塔も何度か焼けた。
現在の塔は創建当時のものではないが、それでも室町時代のものである。1433年に復古再建されたという。この塔は遠望すれば奈良風景に欠かせぬアクセントになっているが、造形的には、奈良にのこるさまざまな古塔にくらべて、優美の点でやや欠ける。たとえば天に舞いたつ力学的な華やぎ、あるいは軽快さという点で劣り、無用におもおもしすぎる。

(中略)

たれかが、
「惜しいな」
と、塔のシルエットをふりかえった。塔の構造を、上へゆくほど構造を小さくちぢめてゆけば、はるかに天をめざすするどさが出るだろう、というのである。
たしかにそうで、法隆寺の五重塔も、薬師寺の東塔、さらにはいまできたばかりの西塔もそのように工夫されている。興福寺の五重塔の場合、各層ほぼ同じであるばかりか、最上階の五重目の屋根も、勾配がずっしりと深すぎるのである。室町朝の宮大工が、奈良朝やそれ以前の宮大工にそういう点では劣るといってもさしつかえはない。
が、私は、この塔の重すぎる感じも、すてがたいと思っている。猿沢池をへだて、水を近景として、むこうの台地を見たとき、薬師寺東塔の瀟洒な、天女が奏でるような形がそこにあっても、大観の抑えがききにくいかと思うのである。
「この塔でいいんだ」
私は塔の精霊のために、ふりかえってそういった。

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私は、奈良の仏たちの中では、興福寺の阿修羅と、東大寺戒壇院の広目天が、つねに懐かしい。阿修羅はもとは古代ペルシアの神だったといわれるが、インドに入り、時がたつにつれて次第に悪神(非天)になった。中村元博士の『仏教語大辞典』によると、

闘争してやまぬ者。争う生存者。仏教では六道の一つ、八部衆の一つとされ、一種の鬼神とみられ、須弥山下の大海底にその住居があるとされる。

とある。
しかしながら興福寺の阿修羅には、むしろ愛がたたえられている。少女とも少年ともみれる清らかな顔に、無垢の困惑ともいうべき神秘的な表情がうかべられている。無垢の困惑というのは、いま勝手におもいついたことばだが、多量の愛がなければ困惑はおこらない。しかしその愛は、それを容れている心の器が幼すぎるために、慈悲にまでは昇華しない。かつかれは大きすぎる自我をもっている。このために、自我がのたうちまわっている。大きな自我こそ仏への道なのだが、その道ははるかに遠い。法相・唯識は、人間への絶望から出ているために、成仏するための修業は天文学的な時間が要るとされる。このために、私どものような儚い自我ならともかく、阿修羅のように多量の自我を持ってうまれた者は、困惑は闘争してやまず、困惑しぬかざるをえない。

(中略)

阿修羅は、変わらず、蠱惑的だった。
顔も体も贅肉がなく、性が未分であるための心もとなさが腰から下のはかなさにただよっている。眉のひそめかたは、自我にくるしみつつも、聖なるものを感じてしまった心のとまどいをあらわしている。すでにかれ―――あるいは彼女―――は合掌しているのである。といって、目は求心的ではなく、ひどくこまってしまっている。元来大きな目が、ひそめた眉のために、上瞼が可愛くゆがんで、むしろ小さくみえる。これを造仏した天平の仏師には、モデルがいたのちがいない。貴人の娘だったのか、采女だったか。
「シバさんは、こういうひと、好きですか」
藤谷氏が、阿修羅がのりうつったようなあどけなさできいた。
「たれでも好きでしょう」
凛とした顔でないと、この未分の聖はあらわせない。阿修羅は、正面のほか、他に二つの顔をもっている。いずれも思いを決した少女の顔である。
「こういうひと、見たことがありますか」
「見た瞬間があると、たれでも」
とここでたれでもを繰り返した。
「あるんじゃないですか。すぐれた少女なら、少女期に、瞬間ながら一度はこういう表情をするのではないでしょうか。それを見た記憶を―――たとえ錯覚であっても―――自分のなかで聖化してゆくと―――少女崇拝の感情を濾過してゆくと―――こうなると思います」
なんだか演説しているような面映ゆさを感じて、その場を離れた。
阿修羅は、私にとって代表的奈良人なのである。