2年半楽しんだ広島から関西へ。こちらでも同じくらい過ごした頃、どちらのお好み焼きが美味しいか結論を出したいと思います。
京都訪問~新撰組~
幕末をテーマに京都を訪問。
サブテーマは「新撰組」と「坂本龍馬」です。

最初に新撰組発祥の地である八木源之丞屋敷に向かいました。

徳川慶喜が二条城で大政奉還を行ったのが1867年。
新撰組がここに入居したのは、その4年前の1863年で、ペリー来航(1853年)から10年が経った時ということになります。

近藤勇や土方歳三は新撰組発足当時、八木源之丞屋敷を宿舎としていましたが、その後、隣家の前川荘司屋敷に移り、八木源之丞屋敷には後にそこで暗殺される芹沢鴨らが居住していました。

八木源之丞屋敷
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ガイドさんの解説付き。
「あそこの塀(を指さして)を近藤勇や土方歳三が乗り越えてきて・・・この柱の傷(を指さして)は当時の打ち合いの時のもの・・・芹沢鴨はまさにこの机(を指さして)でつまづいて、そこを近藤勇にズバっとやられたんです。」

土方歳三のマンガでこの暗殺劇を予習して、それを持参してきた3年生の長男は、暗殺シーンのページを開いて、実際の現場と比較検証(?)していました。
将来もちょっとはこの時の記憶が残るといいな。

以下、司馬遼太郎著『燃えよ剣』より引用します。

芹沢は、夜半島原から酔って帰営し、部屋で待っていたお梅と同衾した。双方、裸形で交接し、そのまま寝入った。
島原へ同行していた平山、平間も、それぞれ別室で寝入った。芹沢派の宿舎は、このころ、八木源之丞屋敷になっていた。
道一つ隔てて、近藤派の宿舎前川荘司屋敷がある。
午後十二時半ごろ、原田左之助を加えた天然理心流系五人が、突風のように八木源之丞屋敷を襲った。
お梅即死。
芹沢への初太刀は沖田、起きあがろうとしたところを歳三が二の太刀を入れ、それでもなお縁側へころび出て文机でつまずいたところを、近藤の虎撤が、まっすぐに胸を突きおろした。

以上、引用。

前川荘司屋敷
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山南敬助はこの屋敷で切腹しました。
現在、居住者がいるということで、屋敷内の見学は不可。
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壬生寺
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壬生寺内の売店で永倉新八が著した『新撰組顛末記』を購入。
「永倉新八が本を書いていたんですか?」
「永倉新八が語ったから新撰組のことがいろいろわかったんですよ。この本はここでしか売っていません。」

新撰組を一躍有名にした池田屋への斬りこみ現場跡。
今は新撰組をテーマにした居酒屋になっています。
夕食はここで楽しみました。
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以下、司馬遼太郎著『竜馬がゆく』より引用します。

池田屋ノ変は、おわった。
志士たちは死に、幕府はいまさらながら新選組の力の強烈なことに舌を巻いた。
(中略)
幕府はこの「戦功」を大いによろこび、京都守護職に対し感状をくだした。武将への感状などというものは戦国時代のもので、徳川期に入ってからも、島原ノ乱いらい、絶えてなかったものである。
つまり、一国の政府である幕府は軽率にもこの事件の性格を治安問題とせず、すでに「戦争」であるとした。「感状」はその証拠であろう。
自然、京を戦場とみたことになる。同時に長州藩および長州系浪士を、敵とみた。その意味でもこの事変は、幕末政治史上の重要な事件であった。
(中略)
池田屋の変報が、瀬戸内海の舟便によって長州にもたらされたのは、数日後であった。
長州藩は、激怒した。
もはや自重論は影をひそめ、来島又兵衛流の武力陳情論が、勢いをしめ、いそぎ京にむかって軍勢を進発させることになった。
幕末争乱の引金がひかれた。
ひいたのは新選組であるといっていい。

以上、引用。

後ろのビルのあたりに長州藩邸がありました。
司馬遼太郎の言葉をかりれば
「池田屋から西へ出ると河原町通、それをすこし北へあがったところに、長州藩邸がある。」
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「新撰組」をテーマにした旅はここでおしまいです。
九州のローカル線
博多からローカル線?に乗るとずいぶん山の中に入って行き
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ある駅を過ぎると乗客は自分一人になってしまいました。
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なかなかホッとする車窓を眺めながら心が癒されました。
生駒山頂~暗峠~額田駅
満開のツツジを観に生駒山系を散策。

「登るのはしんどいか」
とロープウェイで山頂(標高642m)へ。
生駒山上遊園地でちょっとだけ遊んで、トレッキング開始です。
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暗峠(くらがりとうげ)への下り
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大阪府と奈良県の境に位置する暗峠。標高455mです。
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暗峠を通る国道308号線は「日本の道100選」の一つだとか。
この付近の路面は江戸時代に郡山藩により敷設された石畳、とのこと。
また松尾芭蕉が奈良側(写真奥側)から大阪側(写真手前側)へ歩いて通ったそうです。
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生駒山から暗峠へ下りましたが、峠を越えて南に登り展望台を目指します。
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「森のレストハウス」のデッキから南方を望みます。
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満開のツツジ1
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満開のツツジ2
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展望台~ぼくらの広場(標高524m)~に到着。
暗峠(標高455m)から約70m登りました。
西側に大阪市街地を一望。
中央にあべのハルカスが尖がっています。
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展望台から国道308号線に向かい北西へ下ります。
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暗峠から西側に下ったところに出合い、そこからは国道308号線に沿って歩を進めます。
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この下り坂は2kmほどですが、急な勾配の連続で足はガクガク。。。
額田駅付近の公園まで下りてきて、親はクタクタでした子供は元気に遊んでいました。
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「生駒では売ってないから買って~」
と。
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再び山歩き熱がフツフツと湧いてきそうです。
銀閣寺と霊山歴史館(幕末維新ミュージアム)
子供の日に京都へ。
まず向かったのは銀閣寺です。
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先回の京都訪問では金閣寺、今回は銀閣寺、と室町時代を観ていますが、昔、日本史を勉強している頃、いまいち熱が入らなかった事を覚えています。
なので、今回の訪問を機に、鎌倉時代から室町時代、その終焉あたりまでを“ざ~っ”と読み返してみると結構面白かったです。

前澤桃子著 『図解雑学 日本の歴史』 (ナツメ社)
菅広文著   『京大芸人式日本史』 (幻冬舎)

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緑がとても綺麗でした。
秋も雪景色の冬も綺麗そう。
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哲学の道を抜けてバスに乗り、八坂神社の北側で降車。
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清水寺近くにある霊山歴史館~幕末維新ミュージアム~へ。
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奥さん「近藤勇やないとあかんやん」
自分 「ビジュアルの問題でこうなったんじゃない?」
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坂本龍馬の実サイズの人形に長男も次男も「お~」とくぎ付けでした。
長男は「RYOMA」と書かれた学習用ノートを購入。

次回の京都訪問テーマは「幕末維新」で決まりです。
歴史に興味を持たない奥さんが
「壬生寺には絶対に行きたい!」
と言っています。
数年前の大河ドラマの影響のようです。
ええことやな。