2年半楽しんだ広島から関西へ。こちらでも同じくらい過ごした頃、どちらのお好み焼きが美味しいか結論を出したいと思います。
司馬遼太郎が描く幕末・明治人物群像~山県有朋~
1838~1922 長州藩士、明治・大正時代の軍政家。建軍の父、陸軍卿、陸軍元帥、総理大臣、公爵。84歳没。

・・・山県というのはいやなやつだ、という悪口が、明治の末年になってささやかれました。官僚制度をつくりあげる名人で、人事統御がうまく、陸軍と官界を牛耳り、権力の権化のような印象でしたが、戊辰戦争のときのかれは30歳、まことに思慮ぶかく、やることが堅牢で、石垣を組みあげるようなやり方の男で、なにごとも山県にまかせておけばまちがいない、という評判がありました。

・・・山県有朋という人は一種秀吉的な人物で、自分および明治の元勲たちの偉さを示すには、天皇を重くすることが、日本の対外的地位を重くしていく、と考えていたようです。

・・・国家的象徴に重厚な装飾を加える。それは山県の終生のテーマだった。
身延線を走破
富士川沿いを走る身延線を走破。
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山や峡谷の間を6時間かけて、ぐねぐねと走る飯田線を走破する日が来るかどうか。
青柳恵介著『風の男 白洲次郎』
青柳恵介著
『風の男 白洲次郎』
(新潮社)

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前から気になっていた白洲次郎について書かれた著作をたまたま古本屋で見つけました。

巻末の紹介文は以下の通りです。
「日本国憲法誕生の現場に立会い、あの占領軍指令部相手に一歩も退かなかった男。常に
活眼を世界に注ぎつつ、わが道を行く天衣無縫の気概。物事の筋を通し、自説を枉げぬ強靭さ。と同時に、内に秘めた優しさ、しなやかさ、ユーモア。端正な面立ち、洒落た身なり、寸鉄の片言・・・・・。正子夫人をはじめ、この男に魅せられた人々の「証言」から蘇える「昭和史を駆けぬけた巨人」の人間像。」

人物像が自分の頭の中で明快に浮かび上がるまで至らなかったので、改めて同氏について記述する別の著作を読んでみたいと思います。

最後に、日本国憲法誕生にまつわるちょっとしたエピソードを本著から下記引用にて紹介。

GHQ側は、草案を日本側に渡すと、その具体化を急いだ。まだ、日本政府内の意見がまとまらないうちの某日、ぼくはホイットニー氏に呼び出された。至急、翻訳者を連れて来いというのである。そこで外務省翻訳官だった小畑薫良氏(昭和46年死亡)らと同道して改めて訪ねると、彼はGHQ内に一室を用意しており、“マッカーサー草案”の全文を一晩で日本語に訳すよう要求した。
こうして――日本語で書かれた最初の“新憲法草案”は、専門の法律学者の検討を経ることなく、一夜のうちに完成した。もっとも元の英文による原文とて、おそらくは専門の憲法学者の手には触れていまい。せいぜい法律家の目を通していたとしても、戦時応召でマッカーサー麾下に入った弁護士上りの二、三の将校たちぐらいではなかろうか。したがって、たとえ翻訳の際にこちらの憲法学者が立ち会っていたとしても、何ほどの効果を挙げ得たかは疑問である。
が、天皇の地位を規定して、草案が「シンボル・オブ・ステーツ」となっている点は、さすがの外務省きってのわが翻訳官たちをも大いに惑わせた。
「白洲さん、シンボルというのは何やねん?」
小畑氏はぼくに向かって、大阪弁で問いかけた。ぼくは「井上の英和辞典を引いてみたら、どや?」と応じた。やがて辞書を見ていた小畑氏は、アタマを振り振りこう答えた。
「やっぱり白洲さん、シンボルは象徴や」
新憲法の「象徴」という言葉は、こうして一冊の辞書によって決まったのである。
アイランドゴルフリゾート三田@兵庫
小雨振る中、気持ちのいい高原コースへ。

アイランドゴルフリゾート三田@兵庫
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ネットでは次のように紹介されています。
「天空の極上ゴルフリゾートへようこそ!
丹波山系の美しい自然に囲まれた標高600Mの高原コース。
天空の極上リゾート感が味わえるオールシーズン緑鮮やかな洋芝コースと、優雅な時間を味わえるカフェテラスや地産地消にこだわったバリエーションに満ちたランチバイキングをご堪能いただき、きっと皆様にご満足していただけることでしょう!」

<2015年>
1回目 139
2回目 127
3回目 124
4回目 122
5回目 113
6回目 114
7回目 106 ←今回

4年ぶりに110を切りました。
7~8年ぶりの100切りを目指してみようかな。