2年半楽しんだ広島から関西へ。こちらでも同じくらい過ごした頃、どちらのお好み焼きが美味しいか結論を出したいと思います。
永倉新八著『新撰組顛末記』
永倉新八著
『新撰組顛末記』
(中経出版)
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京都の壬生寺を訪れた際にそこで購入した一冊。
「永倉新八が語ったから新選組のことがいろいろわかったんですよ。」
と売店にいたお婆ちゃん談。

新選組の副長助勤となり、のちに二番組長を兼任した新八は、近藤勇らとともに池田屋へ斬り込んだ。新選組随一の遣い手として幾多の戦闘に加わり、十三人の大幹部のうち、ただ一人生き残った。
北海道に渡り小樽に住んだ新八は、孫たちを相手に新選組の懐旧談を語り、記録に綴る晩年を送るが、大正2年(1913)3月から、『小樽新聞』記者の取材に応じて語った連載をまとめたのが本書である。近藤勇や土方歳三らとの交友、池田屋の乱闘、血の粛清など、幕末動乱の修羅場をくぐりぬけた者のみが知る生々しい証言が語られている。まさに新撰組を知るうえで第一級史料である。(巻末より)

芹沢鴨が近藤勇や土方歳三に暗殺されたシーンは、その場所を一昨年に見学したこともあって、情景が頭の中で鮮明に浮かびあがりました。
どうしても芹沢鴨のくだりになると、大河ドラマで芹沢鴨を演じた俳優、佐藤浩市さんの姿を被らせて想像してしまいます。
土方歳三役は山本耕史さんでしたね。
もう10年以上前?

司馬作品、『燃えよ剣』を読み返してみたくなりました。
キルホーマン シングルカスク6年
名称:キルホーマン シングルカスク6年
蒸留所:キルホーマン
種類:スコッチ
地域:スコットランド/アイラ島
主原料:モルト
アルコール度数:59.3度
年:2009年
価格:12,000円(700ml)

1月の三連休初日、生駒のバーで
「アイラ島のスコッチで何か」
と相談して薦めてくれたのが、こちらのキルホーマン6年。
アルコール度数は59.3度で、自分が飲んだ中では最も度数が高いお酒です。
キルホーマン2009

キルホーマンは2005年に蒸留酒をオープン、2009年に初出荷された若い蒸留所です。
アイラ島に蒸留所が作られたのは124年ぶりとか!?
アードベック、ラフロイグに続いてアイラ島のスコッチを飲むのは3つ目。
しばらくはアイラ島のスコッチを集中的に学んでいくのも面白いかもしれません。

そのバーでは、ストレートのウィスキーには割り水とスポイトを一緒に出してくれます。
水を一滴二滴と垂らすと、アルコールの度合いが小さくなると同時に、ウィスキーの香りがより感じやすくなるのだそうです。
ロックだとどうしても温度のせいで香りが引き立たないんです、と教えてくれました。

ワインも楽しいですがウィスキーも楽しいですね。
丹羽宇一郎著『リーダーのための仕事論』
丹羽宇一郎著
『リーダーのための仕事論』
(朝日新聞出版)
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経営の要諦とは「不可解な人間」をどう動かすかに尽きる。だからこそリーダーは、「人間とは何か」「人間を成長させる教育とは何か」ということについて、学び続けないといけない。伊藤忠商事会長、中国大使を歴任してきた著者が語る魂のリーダー論。(朝日新聞出版ホームページより)

備忘記録。

●価格と技術だけで仕事をするな
近江商人のように「三方よし」の精神でやっていかないと商売はうまくいかない。
「売り手良し」「買い手よし」「世間良し(社会貢献)」。
これをするためには、人格や品格、情熱、それに基づいて培われる信頼、こうした要素が大いに求められる。
日頃から猛烈に勉強して、社内外から「なるほど、あなたの言うことなら間違いない」と思われるような人間でないと、これからは勝負していけなくなる。
会社が今後、伸びるかどうかは人間力にかかっている。
人格と人格がぶつかり合って、話が発展的に広がり、お互いに「この人となら」と思えるなら、そのときは大きなビジネスにつながる。

●部下相談や報告に来ないのは上司の責任
「おい、あれどうなった?」とこちらから話しかければいいだけのこと。

●儲けの出るビジネスは賛成三割、反対七割
普通に意見が通り、ゴーサインが出るのは賛成八割、反対二割。
八割もの人が賛成するような事業は、だいたい責任者は安心できるが分け前は多くないという安定志向型。
逆に賛成が三割と少なければ、まず人は手を出さなくハイリスク・ハイリターンということになる。

●一流に触れる
こうすれば決断力を養える、というようなマニュアルはない。
大きなビジネスを仕掛けて感動や感激を味わい、読書を続け、一流に触れて人間の幅を広げる。
そうした積み重ねが、いつの間にか決断する力を育てていく。

●自分にも他人にも厳しいリーダーの落とし穴
結果は出すが部下には非常に厳しいという人は「仕事ができる」と上司から評価されやすい。
しかし、こういうタイプは、無意識のうちに自分をひいき目に見ているが、それを自覚せずに部下に厳しく当たるので、上からの評価は高くても、下の立場の人間にはきわめて評判が悪い。
仕事に厳しいことと、部下に厳しく当たることを混同してはいけない。
すばらしいリーダーはつねに相手の立場を考えていて、公衆の面前で罵倒するようなことは決してしない。
しかし他人に厳しいタイプは「誰にだって間違いはある」と考える心の余裕がなく、「自分だってミスをしながら成長してきた」などとは考えも及ばない。
そんなに部下に厳しき当たるのなら、上司にも食ってかかったらどうだと思うが、残念ながらそういう人はまずいない。
こういう人は心にほとんど栄養を与えていない人で、自分の部下がこういう管理職であったら要注意。

●トップの言葉は「ファイナル・ワン」
トップの言葉には重みがある。
何があっても二度と決心を変えないというぐらいの覚悟がなければ、発言すべきではない。

●愛されかつ恐れられるリーダーが理想
愛されかつ恐れられるリーダーの心は「仁」。
「仁」は孔子が説く「五常(五つの徳)=仁義礼智真」のうち筆頭にくるもの。
「仁」とは、個人的な愛を超えた、広くあまねく社会や世界に対する愛であり、「自分のため」といった自己利益を超えた無私の愛である。
「仁」という文字が表現している通り、二人以上の人間が助けある、何千年という厳しい自然環境の中で育まれた人間の智恵の結晶。
世のため人のためという「仁」がベースにあってこそ人から敬愛され、己の邪心に打ち克って身につけた「仁」であるからこそ、不正をする人間を厳罰に処する厳しさを持てる。
その厳しさゆえに周りから恐れられるのが理想のリーダーである。

●人生の究極の目的とは何か
美味しいものを食べる喜び、大金を手に入れる喜び等、それらの「個人的な喜び」は、分かち合う仲間がいなければ、そんなに深まらないのではないか。
仕事で得られる喜びとはそこが違う。
特にリーダとなってチームを率いて、一丸となって困難な仕事を達成したときに得られる「みんなと分かち合う喜び」は深く、長く続く。
一度その喜びを味わうと、もっとしっかりと生きてそのチャンスにまた巡り会いたい、と思うようになる。
究極のところ、この喜びを共有できた仲間こそ各々の人生の財産ではないか。
城山三郎著『運を天に任せるなんて 人間・中山素平』
城山三郎著
『運を天に任せるなんて 人間・中山素平』
(新潮文庫)
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「財界の鞍馬天狗」「日本の羅針盤」の異名をもつ中山素平は、日本の経済復興を語る上で欠かせない銀行マンである。GHQの興銀無用論を突っぱねて興銀中興の祖となり、海運業界の再編、山一証券への日銀特融、八幡・富士製鉄の合併など、難事解決にあたり名を馳せた。辛辣な発言、粘り強い交渉と巧みな根回し。リーダーが備えるべき人心掌握の術を豊富なエピソードで描く傑作評伝。(巻末より)

城山三郎の著作を読んだのは初めて。
父の書斎に何冊もあったので気になってはいたのですが。

戦後の復興期に生きたビジネスパーソンのキーワードは自然と「日本の未来のために」となったのでしょうか。
百田尚樹著『海賊とよばれた男』でそのモデルとなった出光興産創始者、出光佐三しかり、吉田茂の側近としてGHQとの折衝などに当たった白洲次郎もそうなのでしょう。

自動車業界や電機業界の創業者の話はよく聞きますね。
「最近の経営者は面白くない」と何かのテレビ番組で討議されているのを観たことがあります。
自分は今の時代にも共感できる経営者やリーダーの名前が何人か思い当たりますが、夢とロマンを追いかける度合いは、時代背景的に戦後の復興期と現代の世の中とで、大きく異なってしまうのは仕方がないのかも。

「ライフワークバランス」や「働き方」というワードをよく見かけるようになりました。
あえて徹底的に自分を追い込み、へとへとになりながら、ビジネスパーソンとしてレベルアップすることに快楽を覚える(これによって幸せな人生を勝ち取っていると感じている)人がいたとして、その人は就業時間以外も仕事に追われているかもしれませんが、ライフワークバランスが悪いな、とは少しも感じていないんでしょうね。
司馬遼太郎や昭和のリーダー達にタイムマシンで現代に来てもらって、このあたりについて、自分の本音をぶつけながらディスカッションしてみたいな。

日本人とは何か。

現代の現実(現代の日本人)を直視した時、戦後を駆け抜けた経営者達、リーダー達はどんなふうに感じるのだろう。
自分が創業した会社の社長に今、就任したら、若い社員に何を語り、どんな経営手腕を発揮するのだろう。
司馬遼太郎著『ビジネスエリートの新論語』
司馬遼太郎著
『ビジネスエリートの新論語』
文藝春秋
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「産経新聞記者時代の司馬遼太郎が、本名である福田定一名で刊行した“幻の司馬本”を、単独としては著者初の新書として刊行する。古今の典籍から格言・名言を引用、ビジネス社会に生きる人たちに厳しくも励ましに満ちたエールを送る本書は、著者の深い教養や透徹した人間観が現れているばかりでなく、人生について語る読物としても充分に楽しめる内容となっている。加えて、本書の2部に収録、記者時代の先輩社員を描いたとおぼしき「二人の老サラリーマン」は、働くことと生きることの深い結びつき問う、極めつけの名作短編小説として読むこともできる。現代の感覚をもってしても全く古びた印象のない本書は、後年に国民作家と呼ばれることになる著者の魅力・実力を改めて伝えてくれる。ビジネス社会を生きる若い読者にも、ぜひ薦めたい一冊である。(文藝春秋ホームページより紹介)」

備忘記録。

●徳川家康

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なく、心に望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基。怒は敵と思へ。勝つ事ばかりを知つて負くる事を知らざれば、害その身に至る。
おのれを責めて人を責むるな。
及ばざるは、過ぎたるより優れり。

どうやらこれでみると、よきサラリーマンとは、家康型であるらしい。そのまま過不足なくこれは完ぺきなサラリーマン訓である。
戦国の三傑をみると、まず秀吉はサラリーマンにとってほとんど参考にすべき点がない。彼はいわば、身、貧より起しての立志美談型なのだ。前田久吉、松下幸之助あたりの系列だから、サラリーマンとは人生のコースが最初からちがう。
(中略)
信長が経た人生のスタイルも、サラリーマンには有縁のものではない。いわば彼は社長の御曹司なのだ。大学を出るなり親の会社を継いで、奇略縦横、ついに十倍のスケールに仕上げるという鬼ッ子なのである。
(中略)
となると、家康である。なるほど生れは三河の土豪松平という田舎じゃちょいとした小会社の主だったが、経営不振のため幼少から隣国の今川、織田という大会社に身柄を引きとられ、二十前後まで晴れて社長職を継げなかった。継いでからもレッキとした独立権がなく、いいジジイになるまで織田、豊臣という親会社に仕えて気苦労ばかりしてきている。下級サラリーマンの味こそ知らないが、それに似た経験をふんだんにもつ苦労人である。啼かぬホトトギスを啼くまで待とうといったほどの無理とケレンと冒険のきらいな仁である。しかも天下の制覇ののちは、武士を戦士から事務官に本質転移させ三百年の太平を開いたいわばサラリーマンの生みの親みたいな人物だ。このジジイのいうことなら、まずまず聴いてやるネウチはあろう。

●魏徴

人生意気に感ず。

こういうロンマティシズムは、現代の青年にとってはもはや過去のものになった。
(中略)
明治という時代は、こうしたロマンティシズムが、リョウランと咲いた時代だった。
(中略)
明治的ロマンティシズムは、いたずらに壮んなだけで、論理のシンはない。合理主義でネッチリやられれば、ひとたまりもなくお手あげになる一種の気分的なもので、この気分的なものが悪く発揚すると大陸浪人的な気概になったり、軍国主義政策に利用されると特攻隊的な〝散華〟になったりする。
(中略)
べつだん、非合理的な精神を賛美しようとは思わないが、その逆に、合理主義的な尺度で生活や生き方のスミズミまで計算しつくされたタイプも、どうもツキアイにくい。
立春大吉ほどのロマンティストでなくとも、多少の意気ニ感ズ式な気概を常に育てているほうが人格に魅力をそえるのではないか。気概がいつもバクハツしていてはいただけないけれども、生涯に一、二度ぐらいは利害を超えてモロハダをぬぐといった壮気を内蔵していることは、サラリーマンとしてともすれば墜入りがちな人格の卑小化をくいとめる意味からも大事なことにちがいない。

●リンカーン

四十歳を過ぎた人間は、自分の顔に責任をもたねばならぬ。

リンカーンは、室内を何度も往復しながら組閣の人選で頭を痛めていた。
「お入り。あ、君か」
ブレーン・トラストの一人である。入ってくるなり、彼はある政治家の固有名詞を耳打ちしたが、リンカーンは言下に手を振った。
「だめだ。顔が気にくわない」
「顔?顔で大臣が勤まりますか」
「勤まる。四十歳を過ぎた人間は、自分の顔に責任をもたねばならん」
シェークスピアにも、よく似た言葉がある。
「神は汝に一つの顔を与えた。ところが汝はそれを別の顔に造り直した」
〝別の顔〟が仕立てあがる時期を、リンカーンは四十歳後と見たわけだ。「顔は精神の門にして、その肖像なり」と、キケロもいっている。青少年時代の顔は、生れ出た素材そのままの顔だ。持主の責任はどこにもない。ところが老いるにしたがい、品性その他すべての精神内容が、その容ぼうに彫塑のノミを振い出す。
(中略)
教養、経験、修養、性格、若いサラリーマン時代のすべての集積が、四十を越してその風ぼうに沈殿する。逆説的にいえば、四十以後のサラリーマンの運命は、顔によって決定されるといっていい。

●ラブレー

ここではすべての者が無智によって仕事をします。そしてただ、上役がさよう申されました。上役がさよう望まれます。上役がそれを命じられました、と云えるだけの理性があれば事足りるのです。

十六世紀のなかば、フランスの作家ラブレーは、「ガルガンチェア物語」という風刺小説をかいた。これはその一節である。
(中略)
ゴムリゴモットモは、人間が禄やサラリーで傭われるようになった大昔このかた、宮仕えする者の伝統精神として、今日なお、サラリーマン社会に栄えている。
(中略)
忠義のためなら、子をも殺し、友をも売るというのが、武士という封建サラリーマン社会の倫理であった。武士道には、多くの無惨で利己的な要素がこびりついている。
(中略)
こうしたエゴイスティックな武士道に、当然欠けているのは友愛という精神である。仲間を大事にし、仲間を裏切らないという精神だ。友愛に当たる言葉すら、武士のヴォキャブラリーにはなかった。
同じ宮仕えの末裔として、現今のサラリーマンにも、こういう武士道は受けつがれている。上役のほうが、仲間よりも大切であるという根性である。だから、サラリーマン第一課は、武士道的忠義それだけが重んじられる。
といって、大いに抵抗精神を高め、叛骨をかきたてよというわけではない。仲間への仁義や友情を裏切らない程度に、ほどほどにゴムリゴモットモであり、ほどほどに忠義者であれというのだ。せめて、武士にはなるなというのである。

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